死すべき定め

アトゥール・ガワンデ『死すべき定め』(原井宏明訳 みすず書房 2016)を読みました。著者は1965年生まれ、医者の両親を持つインド出身の外科医で、ハーバード大学医学部の教授でもあります。本書の原題はBeing Mortalーつまり人間は必ず死ぬものなのだから、同じ人間として、副題にあるとおり「死にゆく人に何ができるか」を真剣に考えようという姿勢で(同時に医療制度の経済効率も視野に入れて)書かれた本です。介護と終末ケアの問題について具体例を挙げながら、医療関係者としても家族としてもぎりぎりの線を探ろうとしています。

医事エッセイなのにまるで中編小説を読んだような気になり、何度も涙が出そうになりました(訳者も同様だったらしい)。あちこちに共感する語句がありますが、中でも父親を看取って、ガンジス川へ散骨に行く場面(父子とも最前線の科学者で国際人なのに)は胸が詰まりました。しかし最も印象に残ったのは、知人の医師が自分の父親に「生き延びるためにどこまでやるか、どの程度の生き方なら耐えられるか」と質問し、父親は「もしチョコレートアイスを食べてフットボールの試合をテレビで見ることが出来るなら、生き延びていたい」と答え、その通りの終末期を送らせることができた、という挿話でした。これからは患者も家族もそこそこ医学の知識がないと、自分たちの命の選択すらできない、とつねづね感じていましたが、自分の終末期をこんな風に具体的にイメージしておくべきなのか、と目から鱗が落ちる思いでした。

著者は従来の医師は家父長型、情報提供型だったが、今後は、それらの情報が医師にとってもつ意味を伝えることが必要だと言っています。カウンセラーのように相手が聞きたいことを問い、答えを伝え、そしてどう受け止めたかを問うことができる医師です。私自身の体験からも、これからの医療教育には傾聴力、説明力、つまり対話の能力を育成することが不可欠だと考えていたので、同感です。しかし日本の医者は忙しすぎます(もしくは、そう振る舞うように習慣づけられています)。看護師がもっと自立した役割を担うようなシステムに切り替えていくことも必要ではないでしょうか。

みすず書房の清潔感ある装幀も好ましく、何より読みやすい。いま介護問題を抱えている人、やがて抱えることになる人、まもなく自分が介護され終末期を視野に入れなければならない人にお奨めします。必読、と言ってもいいくらいに。