英吉利文学

友人に借りてカズオ・イシグロの『日の名残り』を読みました。昨日、病院の待合室で2時間、今日は仕事を放って2時間。小説を一気に読了したのは久しぶりのこと、充実した満腹感が残りました。ストーリー・テリングの巧さと、文学ならではの隔靴掻痒感を伴いつつも人生のあれこれがにわかに眼前にひらけてくる、あの爽快さに十分浸ることができたのです。こんないい作家が同時代にいたことを、もっとはやく知っておけばよかった、とも思いましたが、定年後だから知り得た旨味でしょう。

晩年にさしかかった男の一生と、執事として彼が見てきた英吉利社会の変化とが二重になって、6日間の旅につれて繰り広げられていきます。映像としてはNHKが放映したドラマ「ダウントン・アビー」の世界を思い浮かべながら読みましたが、つくづく「これはまさしく英吉利文学だ」と思いました。

高校の英語の授業で、教科書とは別に、ゴールズワージーの「Indian Summer」(小春日和)を読まされました(いま思えば、あれを高校の教材に使った英語教師はどういうつもりだったんだろう?)。当時、主人公の老人の心理がすべて理解できたはずはありませんが、人生の締めくくりがゆっくりと近づいてくる、美しい自然の中での宙ぶらりんな感覚は、今なお印象に残っています。きんぽうげ(butter cup)の花の茂みをかすめる蜜蜂の羽音・・・『日の名残り』を読みながら、あの羽音を聞くような気がしました。

このところ否応なしに自らの老化をつきつけられている私には、タイムリーな読書だったかもしれません。決して同じ物は書かないとの定評ある作家なので、別の作品も読んでみようと思います。