サブカルの本説

ジーヴズの事件簿』(文春文庫 2011)を読みました。P.G.ウッドハウス作、岩永正勝小山太一編訳の「才知縦横の巻」「大胆不敵の巻」の2冊です。リタイア後の楽しみとして挙げられる、やや古めのエンタメ小説って、どんなものだろうという興味から求めたのですが、初めはいかにも英国小説らしい機知とユーモアが楽しめ、急ぐ仕事も後回しになりそうでしたが、1冊目の後半から先が見え、2冊目には飽きました。弊国で言えば車寅次郎もの(「男はつらいよ」)に似て、大いなるマンネリともいうべき定型化が、安心して笑える条件になっている、と言ったらいいでしょうか。

英国には、執事小説とでもいうジャンルがあるのかも知れません。ふと、カズオ・イシグロの『日の名残り』を思い出しました。ウッドハウス(1881-1975)は、70篇以上の長篇と300篇以上の短篇を残しており、舞台や映像作品を通じて人気を博し、何度も書き換えを試みたあたり、現代の大衆作家のあり方を先取りしていた観があります。原文は洒落やもじりが満載なのだそうで、主人公が春の朝の上機嫌を「鶯の凍れる涙今や解くらむ」と呟いたりする箇所(「ジーヴズの春」)では、おっ、と思いましたが、やはり翻訳では限界があるようです。

定年後は、読めなかった「現代」文学を読もう、というのが悲願でした。U.K.ル・グィンの『闇の左手』(ハヤカワ文庫 1978 小尾芙佐訳)は、ウッドハウスとは対照的になかなか読み進められず、頓挫しているのですが、この2人の作家から分かったことは、現代のサブカルチャーにも「本説」(物語の下敷)があるのだということでした。後者は何故今どき、執事や家政婦の活躍するTVドラマが流行るのかを、前者は某缶コーヒーのCMの設定を、理解させてくれたのです。