「子供の貧困」という言葉が流通しています。不審な言葉です。いったい、子供だけが貧乏な家庭があるでしょうか。世帯の貧困、社会の貧困を言い換えて、まるで、みんなで何とかしてやらなくちゃ、という議論にさせようとしているかのようです。じつは政策の貧困、行政の手落ち、なのでは。言葉のマジックに引っかかりたくない。
もしも子供の懐ろ具合だけを比較したら、全員一律でないと不公平、という話になってしまいそう(遠足のお菓子代のように)ですが、生活のスタイルは世帯ごとにそれぞれではないでしょうか。最小限度公平であるべきものと、手に入るけどうちでは買わないもの、うちでは入手できないから我慢するもの、いろいろあって、それが「家風」でもあり、家族の矜恃でもある。
一億総中流社会の幻想はすでに壊れ、しかしそれを糊塗しようとしている人たちの手管に乗せられないよう、私たちにできることは、伝えられる言葉に敏感であることだと思います。