桜桃

桜桃がスーパーで買えるようになるなんて、夢のようです。太宰治父親の自分は酒場で飲んだくれ、首飾りのような桜桃を子供たちは見たこともない、と後ろめたさを逆バネにして短編を書きました。我が家では親子ともども太宰の愛読者だったので、6月には奮発して桜桃を買うことにしていましたが、それも1~2度がやっとでした。

初めてこういう桜桃を見たのは子供の頃、東北から贈答品が小包で届いた時のことです。しかし半分は傷んでしまっていました。未だ流通業も冷蔵技術も発達していなかった時代です。同居していた祖母が、もったいないから、と傷んだ実も一緒に砂糖水で煮て、私に味見させました。不思議な味でした。いま思えばキルシュの原料のようなものだったのでしょう。

流通や輸入がこんなに自由になる前は、現地でしか食べられないものがいろいろありました。柳葉魚が初めて、甘海老が初めて食卓に上った時のことを覚えています(父の出張土産だった)。輸入制限の厳しかったバナナやグレープフルーツも、かつては高級食品でした(尤も、門司港の近くで育った親たちには、バナナはなじみの果物だったらしい)。それゆえ今でも柳葉魚や甘海老を買うときは、一歩下がって品定めする気分が抜けません。