軍記・語り物研究会424

軍記・語り物研究会例会に出ました。久しぶりに早稲田大学へ入ってみたら、キャンパスは綺麗に整備されていて(しかし部外者にはまるでわかりにくい)、あの寅さんがたむろする学生に話しかけた辺りも、コンクリートで塗り固められていました。

参加者は二十数名、発表は2本。梶川貴子さんは日本史が専門のようで、「得宗被官と承久の乱」と題し、北条泰時承久の乱で上洛する際に伴った18騎の御家人が、北条氏嫡流を支える被官となっていった過程を、『吾妻鏡』の記事から追究しました。要領よくまとめられ、分かりやすい。ただ『承久記』も『吾妻鏡』もあくまでも史料として扱ったので、会場からの質疑応答とは紙1枚間に挟まった感があって、噛み合いませんでした。

清水由美子さんの「『平家物語』と『吾妻鏡』の関係について」は、まず両者の関係についての先行研究をざっと見渡した上で、共通資料に基づくものとの見通しを立て、頼朝洲崎明神参詣記事、千手前関連記事、壇ノ浦合戦奇瑞記事、行家記事を事例として両者を対照、考察したもの。未だ結論まではかなりの階梯がありそうで、問題の大きさにめげずに進んで欲しいと思います。

文学研究の眼で見ると『吾妻鏡』は、箇所によっては史料というより、ある種の物語だと言いたいほど、巧みな語り口を持っています。意図的な構成も窺えます。そしてその脚色の質は全巻一様ではない。単に鎌倉幕府の実録とみなしていいものかどうか、疑問を抱きつつ参照・引用しているのが実状です。清水さんの課題は簡単に独力で完結するものではなく、今後、広がりと深まりの中でテーマを再編成、解決されるべきでしょう。

行きには路傍に蕗の薹を発見。早大キャンパスでは、桜の梢に蕾が丸々太って、夕日に輝き始めていました。

慄然

昨日の朝刊(朝日 東京13版)を見て慄然としました。「「人生100年」の現実」という特集で、宗教学者や医学ジャーナリストが書いているのですが、その論の蕪雑さ、短絡性(生命に対する畏れがない)に、誇張でなくぞっとしたのです。約めて言えば、保険制度維持のために延命措置辞退を推奨、また安楽死尊厳死制度化の議論を始めよとするのですが、臨床倫理学の分野でも、最近しばしばこういう主張がされます。

医学ジャーナリストは、「胃瘻や人工呼吸器、昇圧剤などを使うか使わないかを本人が事前に意思を示すことを義務化し」「延命を希望しない人は保険料を免除」「論議が進まない責任はメディアにもある」と書き、宗教学者は「日本でも死の規制緩和に向けての議論を始めるべき」と主張しています。

私は尊厳死という語が嫌いです。言葉ばかり美しいが実体がない。大事な人を複数、見送ってから、あるいは自身が臨死を体験してから言ってくれ、と思います。死に瀕した時の状況はさまざまで、予め線引きしておくことは非現実的だからです。本人の気持ちも、周囲の条件もその時々に変わります。生老病死はままならないもの、人間が一律に決定できるという思い上がりは、ほどほどにしておくべきです。他人を巻き込まずに実践してから言え、他人の生死には口を出すなと言いたい。

現在でも高齢者の保険制度は別枠になっています。それ以上は個別に、現場の医療関係者と本人と看取る者とで決めていくしかない。死に方は極めて個別的なもの、究極のプライバシーです。「死ぬときくらい、好きにさせてよ」と言った個性派女優の言葉には、みっともなくもがき続ける自由も含まれていたと私は思っています。

メディアの責任とは、医学的な事実と看取りの体験談を、淡々と伝えることでしょう。

神楽坂

今成元昭さんの訃報に接しました。ちょうど平家物語の成立と日蓮遺文の関係について、『平家物語流伝考』(1971 風間書房)を読み返していたところだったので、衝撃でした。

今成さんはいささか暴れん坊の、論客でした。『方丈記』末尾の署名が長明でなく蓮胤であること、その事実が中世人にとっていかに重いものであるかを論じたことは、近代人の苦悩を投影して古典を読んでしまいがちな私たちにとって、いつまでも拳々服膺すべき指摘でしょう。

若い頃は可愛がって頂き、立正大学で使う流布本平家物語のテキスト(双文社)作りのお手伝いもしました。夜中に大酔して電話をかけてくることもあり、農芸高校の定時制に勤めていた頃、神楽坂で呑むから来いと言われ、ちょうど終業式で早く終わったので、白いシクラメンの大きな鉢を抱えたまま出かけました(園芸実習の成果が、希望者には終業式の日に安く頒布されたのです)。

ちょっと引っ込んだ路地にある飲み屋で、女将はもと芸者だった(神楽坂芸者は気っ風で有名です)そうで、私は盃の持ち方がわるい、酌をする時の徳利の持ち方がわるい、といちいち叱りつけられながら呑みました。いやしかし、私は堅気の素人女なんだから、と思いましたが、それが今成さん(が連れてきた若い子)への愛情表現だということだけは解ったので、帰りがけに、杉並からはるばる抱いてきたシクラメンの鉢を置いて出ました。街中に、「シクラメンのかほり」という歌が流れていた年のことです。 合掌。

源平盛衰記の出版と流布

研究集会「源平盛衰記の出版と流布」  来聴歓迎

日時 2020年2月23日(日)11:00~17:00(受付開始10:45)
会 場 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー25階会議室B

※同所で源平盛衰記に関連する資料(個人蔵)の展観を行います。
 無刊記整版源平盛衰記数種・元和寛永源平盛衰記(巻31・32)・乱版太平記(巻33・  34) 乱版源平盛衰記(巻17・ 18)・盛衰記歌(池田光政筆)・浮世絵・近代洋装本など

プログラム
11:00 共同研究「「源平盛衰記」の出版と流布に関する研究―日本人の歴史観形成の

    一階梯―」(文科省科研費基盤研究(C) 2018年度~2020年度1 8K 0 0 2 9 5)

    趣旨説明:岩城賢太郎 
11:10 報告① 源平盛衰記の「語彙」について  山本岳史 
11:50 報告② 古活字版の前と後―源平盛衰記の場合  松尾葦江 

  12:30  (昼食休憩・資料展観)

13:50 報告③ 『源平盛衰記』無刊記整版の「版」を考える  髙木浩明 
14:30 報告④ 『源平盛衰記』漢字片仮名交附訓整版本の成立を探る
               ―古活字版と整版の関係  岩城賢太郎 

  15:10  (休憩)

15:30 コメント・全体討議・質疑応答 司会:小秋元段

問い合わせ先:武蔵野大学文学部 岩城賢太郎 ken_iwa@musashino-u.ac.jp

年賀葉書始末

残った最後の切餅を、トムヤムクン仕立てで食べました。これが美味しい。市販のトムヤムクンスープに、焼いた切餅を入れ、刻んだ三つ葉(あれば小海老か干海老)を足します。豪華にしたければ茸類も少し入れます。温まります。

当選しているお年玉年賀葉書を引き換えに行きました。今年は打率3%、まあまあの籤運でしょうか。頂いた賀状は企業・親族・教え子・その他に分類しておき、下一桁で当選番号を抜き出した後、50音順に分類しておきます。近年はPC上に住所録を保存している人が多いのでしょうが、我が家では1年間、これが住所録の代わり。

毎年、差出人の分からない葉書が1枚はあります。年賀状には消印がないので、手がかりがありません。今年のは富山あたりから来たのではないかと憶測していますが、皆さん必ず署名して下さいね。かつて先輩の篠原昭二さんから署名のない賀状が来た(文面でとりあえず誰なのかは判った)ことがあり、翌日、今度は署名はあるが表が真っ白な葉書が来ました。2枚重ねて書いたのかな、とその時は思いましたが、いま考えると、追而書きだったのかもしれません。はやく亡くなったので、確かめる術がなくなりました。

郵便局からスーパーへ回りました。もう促成栽培の山菜が出ています。こごみとうるいを買って帰りました。どちらも癖がなくて扱いやすい山菜です。こごみは、ごく薄いだし醤油で煮て、削り節か胡麻をかけただけでお浸しになりますが、昨夜はピーナツバターで和えました。うるいは以前、酢味噌で食べて中毒したことがあって敬遠していたのですが、長野の友人から、よく似た草が混じっていたのだろう、ふつうは大丈夫、と言われたので買ってみました。今晩、鶏団子と一緒に清まし汁仕立てにしてみる所存です。これから春野菜の美味しいものが出回るので、酒肴には不自由しません。

黄・白・青の少年

ブレイディみかこ『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』(2019 新潮社)を読みました。この人の本を読むのは初めてなのですが、作家でもありルポライター、そして幾分ジャーナリストでもあるなと思いました。奨めてくれた友人によると、作品によって文体は異なるとのことですが、ぐんぐん惹きつけられて2晩半徹してしまいました。

英国社会の一隅で、「世界の縮図のような日常を、思春期まっただ中の息子とパンクな母親(作者自身)とが、あれこれぶち当たりながら共に考え、悩み、乗り越えていく」(本書の帯から)物語。これも一種の私小説でしょうか。アイルランド人で長距離トラック運転手の父親と、保育施設で働く日本人の母親から体外受精で生まれた息子、という設定がすでに今日的です。上流社会ではない、(ふつうの)英国社会に一市民として生活する彼らが、はらはらさせられながらも痛快に見え、EU離脱や王室問題でよく分からない国だなあと思っていた英国が、リアルに感じられるようになります。

そして国や社会習慣が異なってはいても、ここで彼らがぶち当たる問題は、明日は日本の問題でもある。ダイバーシティ、なんて言われるとかっこよさそうだが、じつは自分自身の利害、偏見と日々格闘することなんですね。この作品に登場するのは、前向きで聡明な息子と、逃げずに彼と向き合う母。羨ましいと思うのは私だけではないでしょう。

思い出してみると、私たちの世代は小中学校までは貧富、能力、家族構成、さまざまな同級生がいました(戦死者の遺族もいたので)。だんだん標準家庭のイメージが決まってきて、それが苦しみを生み出しているのかもしれません。学齢期の子を持つすべての親、教育関係者に本書をお薦めします。

旅の代わりに

期限の迫った所用があって、丸ノ内へ出かけました。地下鉄に乗ったら、若いサラリーマンからすらりと席を譲られました。こういうことは、年に1回あるかないかです(譲ってくれるのは40~50代の女性か、たまに年配の男性。働き盛りの男性が譲ってくれることはめったにない)。今日は好い日だ、と思うことにしました。

好天で、歩くうちに汗ばむほどでした。美術館へでも寄ればよかったなと思いましたが、自宅にも期限の迫った仕事が控えていることを思い出し、地下街で軽食を摂って帰ることにしました。珈琲店はどこも一杯。ランチを食べる体力はもうない。北国の牧場のアンテナショップに入って、ソフトクリームとチーズケーキの盛り合わせで一服しました。

いつもは地方の物産品を置いているスーパーへ入ってみましたが、なぜか酒類の棚が増えて、地方の物は全く無い。落胆して店を出ると、向かいのだし茶漬店の雰囲気が変わっている。入ってみると、こちらに地下興しの物産品がぎっしり、並べるというより、詰まっていました。従来の定番名産品ではなく、最近開発したらしい、ヒットするかどうかこれから探る、といった感じの商品です。乾物が中心で、ふりかけやだし醤油の類が多いように見受けました。

鳥取煎餅が店頭にあって、懐かしいなと思いましたが菓子類は敬遠し、けっきょく買ったものは―淡路島のちりめんじゃこ、宮城の牡蛎山椒煮、青森の帆立佃煮、富良野の山羊乳チーズ、大分の鶏皮チップス、同じくかぼすジャム、それに鳥取福部村(ふくべそん、と読みます)の叩き梅辣韮。ちょっと一品足りない時に(惣菜でも酒肴でも)いい、または和え物などに応用の利く品を選びました。旅心も代理的に満足させられます。富良野は未だ行ったことがありませんが。