アマリリス

あちこちの軒先でアマリリスが咲いています。子供の頃、庭に造った円形花壇の真ん中に球根を植え、初めて咲いた時は家族中で喜びました。梅雨の晴れ間にぽっかり咲く、大きな花。野生の草花や和風庭園とは全く違う雰囲気の花でした。

当時は、オルゴールの「アマリリス」という曲が流行っていました。単純なメロディで、木琴でも弾けました。ネット検索してみると、フランスの曲ですが、日本で小学校教材に使われていたようです。

その後は、大輪の咲く時期に葉がないのが不釣り合いで、自分で植える気にはなれずにいました。世田谷に住んだ頃、銀行の2階の出窓に、毎年アマリリスの鉢植えが恭々しく飾ってあるのを見かけ、何となく違和感がありましたが、後日、みかじめ料の領収書代わりに使われていたものだったことを知りました。花に罪はありませんが。

調べてみてアマリリス彼岸花の仲間だと分かり、花期に葉がないことを納得しました。じゃがたら水仙の別名があること、浜木綿や夏水仙キツネノカミソリも同じ仲間だということ、アマリリスという名は、ギリシャの詩に出てくる羊飼いの娘の名だということも。

水仙赤間神宮行幸所の車止めに、1株だけ咲いていたのが忘れられません。文献調査に明け暮れた真夏のことです。キツネノカミソリ臼杵の石仏群の前に群生していて、ちょっと不思議な風景でした。もう何年前のことだったか。

入梅前

屋内では雨が降り出してもなかなか分かりません。以前のように、路面が濡れると車のタイヤ音が変わることも少なくなりました。「お天気体感中継」なんて番組があるのもそのせいでしょう。数日前からムスカリの球根を掘り上げて干しているので、絶えず窓外を気にしながら仕事をしています。

いつの年か、乾ききっていない球根をしまい込んだら腐ってしまいました。納戸を開ける度に、障子を貼る時のふのりのような臭いがしたのですが、まさか球根の腐敗していく臭いだとは思わなかったのです。可哀想なことをしました。

春以来ずっと苦心した仕事の山が見えてきたので、梅を漬けたい、せめて小梅でも、と思ってスーパーへ出かけるのですが、そういう日に限って売り切れ。杖を突くようになってからは、買い物の重さを考え、雨傘の要らない日に買って来なければなりません。入梅前の焦りです。

湿った空気に混じって青葉のいい匂いがします。杏の実が落ち始め、木下闇という語が相応しくなり、季節は足早に進んで行きます。

責了

3年越しの校正をようやく責了にしました。一昨年末の講演録をもとにした本です。当初「文学研究に未来はあるか」という題だったため、私は真正直に受け止めて平家物語研究の課題を整理して書き、そのまま留まってはいられないので、あちこちで続編、そのさきの話を書いてしまいました。それゆえいま読み返すと、もう自分の中ではチューインガムの噛み屑のように感じられて、自己嫌悪になりそう。

今さら書き直すことは出来ませんから、どんどん先へ出て行くしかありません。続編として書いたものは、執筆動機についていささか説明不足だったりしますが、しかたがない。生来怠け者ゆえ、同じ事は2度書かない、という方針でずっとやってきたのですが、同じ事を繰り返し書く人の方が、世に流布することが分かってきました。最近は、前の続きをちょっと書いて、つなげていくことを心がけています。

本の名前は『文学研究の窓をあけるー物語・説話・軍記・和歌』だそうです(笠間書院 近刊)。私の原稿はともかく、他の方々は講演会の兼題や制限時間を無視して、面白い原稿になさったようです。尤も、拙稿にもちょっと仕掛けをしてあります。

ゲ抜き

我が家のスパティフィラムが2輪、花首を伸ばしてきました。この花の名前がなかなか覚えられません。和名は笹団扇だそうで、これはまたあまりに直接的でつまらないし、やむなく「麵会議のゲ抜き」、と覚えることにしました。794平安、と同じ記憶法です。原義が分からない外来語は、こうでもしないと覚えられない。

本来、濃い緑の葉に白い仏炎苞がよく映えて、初夏の木陰や室内に相応しい花なのですが、今年は葉が黄緑のままで濃緑色にならず、花が冴えません。花屋の説明では、半日陰向き、日が全く当たらないのも駄目、あまり日に当てると仏炎苞まで青くなっちゃう、とのことだったので、最低気温が10度以上になってからは、ベランダで日に当てました。でも緑は濃くなりません。例年、冬は東向きの寝室に置いておいたのに、今年は南向きの居間に置いたのがいけなかったらしい。日に当てすぎたのです。

苗を買ってきた年の冬、葉ばかり茂るので、ざくざく剪って正月の卓上の花の付け合わせにしたところ、春になって頭のちょん切れた蕾が出て来て、吃驚。花は新しい葉鞘から出てくることを知らなかったのです。3ヶ月間反省させられました。

栽培は簡単、と園芸書にはありますが、今年も黄ばんだ葉の間に咲く花を見ながら、物言わぬ者たちへの心配りが足りなかったことを反省しています。生き物にはそれぞれに生きる流儀があるので、やみくもに育てると思わぬ抗議に出会う。

この花の欠点は、満開になると強烈な加齢臭に似た臭いを出すこと。私は熱帯の昆虫ではないので、この臭いには誘惑されないのですけど。

和歌文学会大会

和歌文学会第64回大会第一日目日程(予定)

2018年10月6日(土) 於國學院大学渋谷校舎2号館

14:00 開会挨拶:針本正行

14:10 講演:辻勝美

(休憩)

15:20 講演:豊島秀範

16:20 講演:松尾葦江

       『平家物語』の表現―叙事に泣くということー       

(会場移動)

18:00 懇親会 

わかりやすさ

一世を風靡した「ヤングマン」は、つまらない歌だと思っていました。わかりやす過ぎるからです。歌手もそれほど巧くない。むしろTVドラマ「寺内貫太郎一家」の中で、「雨の日は煙草が美味しいのよ」と呟く年増の出戻り女性(演じたのはたしか太地喜和子だった)にほのかに憧れて、未成年なのに煙草を山ほど買い込んでくる場面が印象に残っています。

しかし青山斎場を出て行く霊柩車に向かって、号泣しながら手文字を作り、YMCAの大合唱が起こった時、いい歌だな、と思ってしまいました(TVニュースで視たのですが)。人を感動させ、記憶に残る力とは何だろうか、と考えさせられました。あの場合はファンたちの青春の思い出が重なり、聞くだけでなく身体を動かし、自分たちも大声で歌った体験が決め手だったのでしょう。未だ鎮魂とはいえず、別れや見送りの感情が最高潮になった場面でした。

語り物の場合はどうだろうかーつい、そこに考えが戻っていきました。音楽はたしかに人を救う力がある、それは現実を抽象化できるからだ、と書いたゲラを見たばかりだったので。大勢で一所に、同じ感情を共有することは、言葉で伝えられた内容以上の何かをもたらす、ならばそれが、平家物語の何を変えたのか、変えなかったのか。

運動会の日

昨日の夕方のスーパーはちょっと様子が違いました。30~40代の女性たちがうろうろ、中には外国人もおり、夫が一緒の人もいます。通常、この時間帯にこの年代の女性たちは、目当ての棚が決まっていて、ささっと買い物を済ませるのですが、狭いスーパーの中をあちこち歩き回り、少量の食材を手に取るだけ。

邪魔だなあと思っていたら、近所の奥さんに会いました。「明日は子供の運動会で、お弁当が要るので・・・入れるものを何にしようかと」とのこと。なるほどそうだったのか、と腑に落ちました。

さて今日は小学校の運動会。太鼓乱打や応援練習で、いつもならうるさかったのですが、我が家との間にマンションができ、防音壁になってくれました。入場行進曲はブラスバンド平原綾香の「ジュピター」。その年流行の曲によるダンスがあり、「青春アミーゴ」の年や「マツケンサンバ」の年もありましたが、ここ数年は外国の曲です。体育教師が替わったのかもしれません。

幕切れは5,6年生による「よさこいソーラン」の総踊りです。今や全国的に日本の小学生の共通体験は、この「よさこいソーラン」ではないでしょうか。私たちの世代はラジオ体操でした。40代の人に訊いたら、フォークダンスだと言っていましたが、同世代が一斉に歌って踊れるソウルミュージックは、盆踊り定番の炭坑節や五輪音頭から、パフォーマンスとしてのソーラン節へと変わったようです。閉会は全員の「believe」合唱が恒例。

選挙の投票日と小学校の運動会前日は、街が何だかそわそわしています。太宰治がばあやと一緒に茣蓙に座って、故郷の運動会を観る場面は、思い出すだけでしんみりしますが、親が観に来られない子供にとってはつらい一日かもしれません。