平成30年度奨学基金募集

平成30年度公益信託松尾金藏記念奨学基金の募集が始まりました。本基金は、人文系大学院生に向けた給付型の奨学金です。募集要領や応募書類は、三菱UFJ信託銀行のHPに掲載されています。「三菱UFJ信託銀行 公益信託 奨学金」というキーワードで検索できます。

応募できる地域、専攻に限定があります。大学推薦制ですので、希望者はこの春から籍を置く大学院の事務を通して応募して下さい(手続きや応募締め切りは大学ごとに決められています)。他の奨学金(貸与型も含む)との併給はできません。また年度ごとに継続審査があります。採択や継続に当たっては、経済事情のみならず、学習意欲・研究業績なども考慮されます。

これまでの採択結果や修了生の研究成果は、論集『明日へ翔ぶ―人文社会学の新視点』(1~4 風間書房)で公開されており、募集先の大学には寄贈されていますので、参照して下さい。すでに100名以上の大学院生を支援し、修了生による任意の同窓会「明翔会」もあります。

続・峠越え

太平洋側からバスで鳥取へ入って行く時は、峠を越えた途端に川の流れが逆方向になり、分水嶺を越えたことが分かりました。もう一つ、山陰へ入ったのだと分かるしるしがあります。森の美しさです。山陽側は森林が荒れているが山陰側は手入れが行き届き、林業が生きていることが目に見えて分かりました(30年前ですが)。

鳥取へ赴任して、まずTVを買いました。それまでの東京暮らしではTVを視る暇も必要もなかったのですが、夕刊のない鳥取では、夜のニュースを視る必要がありました。特に18:45のローカルニュースで、県内のあれこれを知るのが楽しみでした。1年に1度、森林保存のコンクールがあります。シングルとダブルスがあって、後者は夫婦で出場します。間伐、枝打ちなど手作業でやる手入れの技術を、制限時間内で競うのです。持てるのは命綱と鉈1丁。選手たちは前夜、脛の毛が剃れるまで鉈を研ぎます。斯道奨励のためのコンクールなので、優勝者は次年以降出場できません。

当時、鳥取県は女性の就業率は第一次産業も含めて全国1位でした。ちょうど東京では女性タレントが、赤ちゃんを仕事場(TV局の現場です)に連れて行ってスタッフに面倒を見させ、話題になっていましたが、ここへ来ればそんな議論は吹っ飛んでしまう、と思いました。漁船でも、夫婦2人で出漁するのはふつうのことでした。

人手不足がひどくなり、間伐材を運び出すことが難しく、山に放置する(輸入外材の方が安くつく)ようになって、洪水の時に流木による被害が大きくなるのは全国的な現象のようです。体験ツアーを兼ねてボランティアを入れたり、間伐材利用のアイディアを募ったり、というところまでは鳥取で見聞きしました。今や、日本の建材輸入が外国の山を荒らしている、と問題になっています。山陰の美しい森林同様、世界の森も失くしたくないと思います。

峠越え

このところ毎朝整腸剤代わりに飲んでいる牛乳が切れたのに気づき、雪の合間を縫って買いに行くことにしました。鳥取仕様のゴム長(魚河岸で履いているような長靴です)を履いて、恐る恐る出かけました。児童遊園にはさすがに人影はありませんでしたが、子供の足跡が幾つもありました。雪が嬉しくて踏まずにはいられなかったのでしょう。

鳥取在勤時代(30年も前のことです)、太平洋側へ出るにはJR以外に、バスで峠を越えて大阪または姫路に出る方法があったので、ある年の暮にバスで帰京することにしました。大雪の中です。いつもは1台ですが、満員で、2台目の最後尾の席しかありませんでした。やっと乗れましたが、なかなか発車しない。先発車のブレーキの調子が悪いので整備している(!)という。チェーンも巻き直すという―ようやく出発しましたが、ひどい揺れ方です。最後尾の席なので特に揺れるのですが、すぐ後ろがトイレで、タンクが揺さぶられ、その臭気が堪え難く、殆ど吐きそうになりました。

両側は林と崖。雪解けの頃には、前年行方不明になっていた車が(運転者も一緒に)谷底で見つかったという記事が、新聞に出ることもありました。必死で口を抑え、鞄の底に持っていた香水を思いきり振り撒きました(もともと仏蘭西の香水は、巴里の下水道が完備していなかったので発明されたらしい)。隣席の男子学生は、大阪駅で降りる時、礼を言ってくれましたが、今だったらクレームをつけられたかもしれません。

買い物の帰りには、止んでいた雪がまた降り始め、小さな霰になっていました。赴任直前に鳥取へ下見に行った時に、翌朝、ホテルの窓を打つ音に驚いてカーテンを開けてみたら、オンザロックの氷のような霰が降っていたことを思い出しました。

中世芸能の異性装

辻浩和さんの論文「中世芸能の異性装」(「アジア遊学」 2017/6)を読みました。12世紀から13世紀にかけて流行った白拍子の男装は、じつは男装としては不完全なものであったと述べています。鎌倉時代になって白拍子は、成人男子の身分標識であった烏帽子・腰刀を省略するようになり、白拍子舞を立って舞う時には水干を着たが、座って歌謡の白拍子を歌う時には必ずしも着用していないことを指摘、さらに16世紀頃の「職人歌合」には長袴・結髪の白拍子女が描かれており、この姿は女性装と見られるとしています。

そして、男性貴族の遊興の場で宮廷女房が男装させられる日記記事を参照しながら、白拍子女の男装は、顧客たちの好尚に合わせた、一種の風流(ふりゅう。何かを何かに見立てて人を喜ばせる趣向のこと)であったとして、遠く阿国歌舞伎につながる、女芸人の男装の系譜をたどって、各種芸能の盛衰を解明してみたいと結んでいます。

歌謡白拍子の史料上の初出は仁安元年(1166)11月頃、白拍子女の史料初出は嘉応元年(1169/11/26、『続古事談』巻2ー49話)だということで、まさしく平家の上昇期、平家物語の「我身栄花」に描かれる時期であり、「祇王」説話のもつ意味の深層を、改めて考えてみようと思いました。

あんみつ

区役所へ用足しに行ったついでにスーパーへ、叔母の命日の御供物を注文しに行きました。戦後、女手一つで3人の子を育て、地元福岡市の母子家庭福祉にも尽力した人です。大家族を率いて威厳があったので、兄に当たる父は、「昭憲皇太后」と渾名していました。私も、子供にお金をやってはいけない、自分の小遣いの範囲内でと言うか、貸すから必ず返してと言う方が、子供のためになる、と教えられました。

生前、福岡空港へ見送りに来てくれた時は、みんなでロビーの不二屋でお茶を飲みましたが、決まってあんみつを注文し、心から嬉しそうな笑顔で匙を舐めていました。あんみつも、これほど人から喜ばれたら本望だろうなあ、と思ったものです。

去年は天神下の有名な蜜豆屋まで行って注文したのですが、ちょっとした行き違いがあって賞味期限ぎりぎりに届いたりしたので、今年は大手スーパーで缶詰を探しました。嫁さんの実家が和菓子屋なので、餡は福岡で調達して貰えばいい、と思ったのですが、意外なことに缶詰がない。かつては蜜豆の缶詰は御贈答用品の定番でしたが・・・店内をうろうろしたら、カップに入ったあんみつが山積みされていて、賞味期限を見たら3月下旬になっている。えっ、餡なのに大丈夫なの?と、店員に確かめましたが、大丈夫との返事。

子供の頃から、餡物は日持ちしないから早めに食べる、と教え込まれてきたのですが。食品保存の技術が進んだのでしょう。さまざまな分野で、年寄りの常識が覆される時代です。でもやっぱり心配で、宅配は冷蔵指定にしました。

人と書と

田代圭一さんの『人と書と―歴史人の直筆』Ⅱ (新典社)という本が出ました。田代さんは宮内庁書陵部にお勤めで、書誌学に詳しく、ご自分でも書をたしなまれるので、いろいろな形式の、先人の書の写真を贅沢に掲げ、解説をつけて、2冊目として出されたのです。

島谷弘幸さんの序文が、簡にして要を得た紹介文のお手本のようで、まずはそこから読み始めることをお勧めします。あとがきによれば雑誌「書法芸術」の連載をまとめたらしいのですが、コラムに書誌学の知識をわかりやすくまとめて入れたりして、有益で、しかも楽しめる本になっています。書には、人や時代のみならず、目的や内容によって相違があることが一目で分かり、また、いい筆跡は精神的な美味感覚を与えてもくれます。一部、写真が小さすぎたり画面が暗くて文字がよく見えない図版があるのは残念ですが、3冊目を出す時は版元が知恵を出して欲しいと思います。また「本書の構成」の凡例に当たる部分は、箇条書きにした方が読者には便利でしょう。

国語の教員免許を出す大学には必ず書道の先生がいて、私はいつも仲良くして頂きました。自分自身は習字が得意ではないので苦手意識がありますが、本書は少しずつ楽しみながら読んでいきたいと思います。

乱舞の中世

沖本幸子さんの『乱舞の中世』(吉川弘文館 2016)と『今様の時代』(東大出版会 2006)を併せて読みました。面白かっただけでなく、いかに芸能研究が沃野であるか、また自分が最新の研究動向に疎くなっていたかを思い知らされました。

同時に平家物語には、芸能に関する、いかに多くの情報が盛り込まれているかという点にも、改めて立ち止まってみる気になりました。従来の平家物語研究では、歌謡の出典を探索したり、あるいは登場する芸能と成立圏とを強引に結びつける傾向がありましたが、そもそも時代が芸能愛好気分に充ち満ちていた(と著者は言っています)こと、そして近年の芸能研究が対象を大幅に広げ、儀式や礼法に含まれるものをも「芸能」と呼ぶようになったことは、平家物語研究の方でも吟味すべきことかも知れません(牧野淳司さんなどの研究がそれに当たるでしょうか)。

例えば「殿上闇討」や「祇王」や、「法住寺合戦」、頼朝挙兵記事中の土肥の舞。検討してみたい記事は次々思い浮かびます。さらに、当道座成立以前の琵琶法師とその周辺の芸人集団のことを知りたい、という思いがふつふつと湧いてきます。

沖本さんは『乱舞の中世』で、能の舞が中世以来の要素からどう変化して来たかを大胆に推測していて、芸能の継承と変容という問題についても考えさせられました。能がこんなにも変化したのならば、平家語りはどうなのだろうか、身体で演じる芸能と詞で束縛される場合との相違は何か、等々疑問続出。雲の柱に迷い込んだ単発機さながらの状態です。