乱舞の中世

沖本幸子さんの『乱舞の中世』(吉川弘文館 2016)と『今様の時代』(東大出版会 2006)を併せて読みました。面白かっただけでなく、いかに芸能研究が沃野であるか、また自分が最新の研究動向に疎くなっていたかを思い知らされました。

同時に平家物語には、芸能に関する、いかに多くの情報が盛り込まれているかという点にも、改めて立ち止まってみる気になりました。従来の平家物語研究では、歌謡の出典を探索したり、あるいは登場する芸能と成立圏とを強引に結びつける傾向がありましたが、そもそも時代が芸能愛好気分に充ち満ちていた(と著者は言っています)こと、そして近年の芸能研究が対象を大幅に広げ、儀式や礼法に含まれるものをも「芸能」と呼ぶようになったことは、平家物語研究の方でも吟味すべきことかも知れません(牧野淳司さんなどの研究がそれに当たるでしょうか)。

例えば「殿上闇討」や「祇王」や、「法住寺合戦」、頼朝挙兵記事中の土肥の舞。検討してみたい記事は次々思い浮かびます。さらに、当道座成立以前の琵琶法師とその周辺の芸人集団のことを知りたい、という思いがふつふつと湧いてきます。

沖本さんは『乱舞の中世』で、能の舞が中世以来の要素からどう変化して来たかを大胆に推測していて、芸能の継承と変容という問題についても考えさせられました。能がこんなにも変化したのならば、平家語りはどうなのだろうか、身体で演じる芸能と詞で束縛される場合との相違は何か、等々疑問続出。雲の柱に迷い込んだ単発機さながらの状態です。