アメリカン・チェリー

黒っぽく熟したアメリカン・チェリーが店に出ています。一年中出回っているような感じですが、噛むとぷつっと音がしそうに果肉の充実した、旬の季節があることを知りました。子供の頃読んだ「トムおじさんの小屋」(アンクル・トムズ・ケビン)に、主人公のトムが、いつもポケットにはさくらんぼの種に彫った玩具を持っていて、泣いている子供をあやすとありました。当時、日本のさくらんぼは小さくて、あの種に彫る玩具なんてどんなものだろう、と不審に思っていましたが、後にアメリカン・チェリーが輸入されるようになって、納得しました。

しかしこの頃は品種改良が進んだのか、アメリカン・チェリーの種も小さくなり、日本の桜桃は実が大きくなりました。種の大きさはあまり変わらないと思います。未だ日本の桜桃は高値です。まもなく太宰治の桜桃忌がやってきます。

早歌

岡田三津子さん編著の『資料と注釈 早歌の継承と伝流―明空から坂阿・宗砌へ―』(三弥井書店)という本が出ました。早歌は宴曲ともいい、中世の武士たちに愛好された歌曲ですが、彼等にとっての「古典」の語句をびっしり鏤めた詞章で出来ており、その大半は14世紀初頭に明空によって作られたとされています。

本書は岡田さんが、6年間に亘る科研費による道行文研究の報告書として出したものですが、早歌研究の大先輩外村南都子さんから資料提供を受け、落合博志さんと共に新出資料を精査することによってできた本です。宴曲集の伝本一覧、古写本書誌一覧、故外村久江氏の早歌研究資料補訂版、早歌文献目録なども載っています。恩師である故伊藤正義氏の衣鉢を受け継いだことを立証する、岡田さんにとっても節目となる本でしょう。

武士に愛好された割には詞章が古風で、しかも芸能としては現存していないので、あまり知られていない早歌ですが、中世人や後代の文芸に与えた影響を考えると大きな存在です。私たちも文献調査の際、古筆手鑑などに貼り込まれた宴曲(早歌)の譜に時々出会うことがありました。泉下の外村久江氏のご意見を聞きたかった気がします。

印度の壺

暑くなってきました。真夏にはベランダの照り返しで半身だけ日焼けします(机がベランダ側にあるので)。連日の暑さで夜になってもコンクリートが冷えなくなると、つらい。かつてインドへ行った時、素焼の壺に水を入れて売り歩く人がいました。素焼の肌から浸み出す水が蒸発するため常温よりは冷たい水です。壺の造形がなかなかいいので、船便で4個持って帰りました。永いこと親の家に置いてありましたが、2個は東北大地震で割れてしまいました。

ふと思いついて、夏にはこれでベランダを冷やせないかと実験を始めました。毎朝、風呂の残り湯や果物を洗った水を入れて放っておくと、壺の肌がずっと湿っていて、触ると冷たい。ベランダ全体を冷やすのは無理でも、見た目だけでも涼を呼んでくれるのではと考えたのです。

しかし素焼とはいえ、持ち上げてみてその重さに吃驚しました。インドの女性たちはこれを頭に載せて平然と運んでいますが・・・慣れでしょうか。

民芸好きの私たちは、壺のかたちとその生活感に惹かれたのですが、一緒にいた茶道の宗匠は、「砕いて陶土に混ぜて焼いたら、いい茶碗になりそう」と言ったので、愕然とした覚えがあります。茶器ではよくやることなのでしょうが。

夢中の五感

子供の頃、夢は白黒で見る、ということが分かりませんでした。私の夢の中の世界は、通常の世界とまったく同じようだったからです。しかし「私の夢はカラーよ」と言ったら、「自慢してる!」と怒った大人がいたので、それ以来口に出せず、白黒の世界にとつぜん降り立ったら怖いだろうなあと思うばかりでした。しかし、夢の中で何かを味わったり触ったりすることはなく、食べようとすると口に入る寸前に目が覚めました。

ある年齢から、夢の中でもものを食べるようになりました。詳しい味は覚えていませんが、何々を食べた、という記憶(オムレツならオムレツの味、ラーメンならちゃんとその味で)が、目覚めて後にも残っているようになったのです。一つの場面の中で、特にあるものの色が印象に残っていることもありました。

先日、作家の檀一雄さんのお通夜に行く夢を見ました(現実には告別式会場に勤務先から出向いた)。石神井の辺りは一面に白い雪が凍っていて、掌で掬うとしゃりしゃりした触感が手に残りました。さすがに夢中の触感は初体験でした。音は色と同じく通常の世界どおりなので、すると嗅覚だけが未体験ということになります。現代では、誰もが総天然色の夢を見ているのでしょうか。

檀さんが亡くなったのは1月でしたから季節は合っていますが、何故、雪景色や氷の手触りが結びついたのかは謎です。

文字摺

買い物の帰りに、ビルの軒下の僅かな土に、もじずりの花が咲き始めているのを見つけました。本来、芝生など日当たりのよい平地に生える蘭科の草です。葉が芝とそっくりなので、手入れのいい庭園でも除草を免れ、季節になると、小さなピンクの噴水のようにいきなり咲き出し、親指姫のように小さくなって、下から見上げたくなる衝動に駆られます。三宅坂国立劇場の裏や母校の学生会館前の芝地にたくさん生えていましたが(しかし密生はせず、ちょうどいい距離を置いて屹立します)、今はどうなったかしら。

花穂が螺旋状に捩れて咲くのでねじばなとも呼ぶようですが、「みちのくの信夫文字摺・・・」の歌から採った名前の方がしゃれています。小さいながらも蘭なので、穂の中の花を1つ1つよく見ると、カトレアと同じ形をしています。塊根が地下で冬を越すようですが、花の後、細かな粉のような種子ができます。鉢で育てたくて、一昨年、路傍で種のついた茎を抜いたら、近所の子に「お花を採っちゃいけないんだよ」と注意されました。とっさに説明出来なくて、へどもどしました。そのせいか我が家では、芽は出るのですが咲いてくれません。

転法輪鈔

牧野淳司さんの「『転法輪鈔』解題」(「国立歴史民俗博物館研究報告」188)を読みました。国立歴史民俗博物館蔵(田中穣旧蔵)『転法輪鈔』の紹介及び「転法輪鈔」と呼ばれる資料群の中での位置づけ、著者澄憲の意識について述べています。ここ十数年に亘って行われてきた寺院資料・仏教儀礼に関する複数の大型プロジェクトによる成果の一端ですので、牧野さんの仕事の全貌を短く言い表すことはできませんが、例えば『ともに読む古典』の中で彼が書いた一文も、こういう膨大な、石のように堅く真面目な作業の上に咲いた一輪なのです。

澄憲の作った唱導文と「転法輪鈔」の関係がよく分かりました。これもまた、中世的本文のあり方の一つだと肯けます。また、いわゆる史実を知るのに中世では、日記や和歌関係資料のみならず寺院資料も、使い方次第で有益であることも(今さらのようですが)よく分かりました。寺院資料の包括的調査については、仏教文学会の会誌「仏教文学」42号が殆どその特集とも言える内容になっています(ここでも牧野さんは大活躍)。

この報告書には阿部泰郎さんの膨大な概説のほか、澄憲と頼朝、松殿基房、高松院との関係を論じた三好俊徳・阿部美香・筒井早苗さんたちの論考も載っています。ただ唱導の修辞を読み解いて、その向こうに関係者の感情まで透視できるかどうかは、和歌や日記と同様、用心ぶかい熟練が必要でしょう。

 

山椒と梅干

近所の公園で山椒の木を見つけ、小指ほどの枝を失敬しました。葉をこすると得も言われぬ芳香にうっとりさせられます。粉山椒は鰻には欠かせませんが、あの乾いた香りとは違って、もっと甘く艶めかしく、ねっとりした芳香です。食卓に飾るだけでは満足できず、思いついて葉を細かく刻み、甘めの梅干の果肉に混ぜて練り梅にしてみました。辰砂の派手な盃に盛りつけて、日本酒の友に・・・

ところがもうこの時季の葉山椒では葉が硬くなっていて、梅肉にうまくなじみません。来年はもっと早い季節、「木の芽」と呼ばれる頃にやってみようと思いました。これだけでも十分肴になりますが、例えば釜揚げしらすをひとつまみ添えて、少しずつ和えながらちびちびと、などはいけそうです。勿論、胡瓜や蒲鉾にも合うでしょう。

葉をむしって先端の芽だけになった小枝は挿し木にしました。来年も酒が呑める健康状態を保持できていますようにー駅前の薬師堂にお願いしておこうと思います。