女子会

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あるプロジェクトが完結したので、主力メンバーで女子会をやりました。街の小さなロシア料理店。無愛想な親父一人でカクテルも料理も作っている店を一晩借り切って、年齢幅約30年の同窓9人が、遠慮なくお喋りし、笑い、満腹になりました。

プロジェクトの反省、合評、裏話も行き交いましたが、みなそれぞれに肯けることばかりでした。今後に活かしていきたいと思います。所属業界の昔話、裏話、笑話、この30年間にどんなに女性の進出が当たり前のことになってきたかの話も出ました。すこしずつですが世界は変わりつつあります。

古い通りに桜は1分咲き、樋口一葉ゆかりの質屋は藏の修繕が終わったばかりで、白壁が夜目にも明るく見えました。明後日からアメリカへ行く人もあり、入学式に出る人もあり、次のプロジェクトが始まった人もあり・・・明日からまたがんばろう!

還付金詐欺直前

朝10:30に電話がかかってきました。聞くからに偽物っぽい営業口調で、文京区役所の✕✕課の大谷と名乗り、12月に国民健康保険医療費のお知らせを送ったが確認したかと言う。「見たが一々確認はしてない」と答えたところ無言電話になり、1分も応答がないので切り、該当書類を探し出して担当部署へ電話しました。公務員の話し方がまずあれとは違うなと思いながら、担当部署に大谷という人間がいないことを確認、事情を説明しました。✕✕課という部署はない、こちらから電話する事はない、ただ国民健康保険医療費のお知らせを送ったことは区のHPで公開されている、とのこと。事例を集めて警察へ通報するなり何らかの対策をする、との返事でした。

その後また「大谷」から電話がかかってきたので、「区役所にそういう人はいないとのことだった」と言うと、「なぜ区へ電話なんかしたんですか」と怒る。「怪しいからだよ。用件は何ですか」と言っても、「この5分の間になんで電話なんかしたんですか」と食ってかかる(この時点で効率のいい詐欺師ではないことが歴然)。さらに「これから何度でも電話してやる」とすごまれました。それゆえ当分、留守電対応にしますので皆様悪しからず。

我が家は電話帳には番号を掲載していないので、ひょっとすると区から個人情報が漏れている恐れもあり、文京区民はご用心下さい。詐欺師見習いの「大谷」君、お知らせが来た月も違っているよ。2軒目からは、複数事例として文京区が警察へ通報するからそのつもりで。

オレオレ詐欺の話を聞いていつも不思議に思うのは、「女の子に妊娠させた」とか「会社の金を使い込んだ」とか自分の「息子」が言ってきたら、「そんな子に育てた覚えはない」とどうして言わないのでしょうか。元お母さん方、もっと自信を持って下さい!

栄花物語

加藤静子さんの「『栄花物語の誕生―女房たちのネットワーク-」(「むらさき」2016)を読みました。加藤さんにはすでに『王朝歴史物語の生成と方法』(風間書房)、『王朝歴史物語の方法と享受』(竹林舎)の大著があり、これは講演録なので話が飛んでいるところもありますが、歴史文学の多様なあり方を考えさせられました。

私自身が栄花物語を読んだ時に印象に残ったのは、「さらさら流れていく時間」でした。「かくて◯◯になりぬれば」「かく・・・などありし程にはかなく◯◯にもなりぬ」「はかなう◯◯にもなりぬれば」といった接続句で話が運ばれていく。軍記物語は重要な所では年月日を明記し、いわば挿話を串刺しにする時間記述がはっきり眼につくのですが、栄花物語は違ったやり方をします。編年体で構成されているといいながら、記録に留められる時間ではなく人間が感じる時間の速さが主導力、とでも言ったらいいでしょうか。

栄花物語が人物の呼称の使い分けによって歴史の遠近感を表出したということ、また栄花物語の編述は彰子方女房たちを中心にしてなされ、多くの女房やOGたちによって多層的に書き継がれたであろうという推定には興味をそそられました。歴史文学の成立の共通性と、作品ごと・時代による特殊性とを考える契機が、ここにあるからです。

加藤さんはすでに名誉教授という肩書ですが、昨年9月の関根慶子賞贈呈式のスピーチには、新規のテーマを見るや突進して行くばりばりの研究者の迫力が溢れていて、圧倒されました。

國學院雑誌3月号

國學院雑誌3月号を読みました。伊藤悦子さんの「久留米文化財収蔵館寄託「合戦絵巻」について」が載っており、「平治物語絵巻」六波羅合戦巻の新出模本について考察しています。この資料は伊藤さんが2014年に自分で調査して発見したものですが、同年、早稲田大学図書館でも新たに模本を収蔵、滝沢みかさんが紹介しています(早大図書館紀要 2015)。平治物語は早い段階で絵巻が作られ、一部現存していることが軍記物語の中でも顕著な特徴で、六波羅合戦巻の部分は断簡と模本しか残っておらず、近世末期の資料であっても今後の解明が俟たれます。

同誌には津島知明さんの「『枕草子』「香炉峯の雪」と「三月ばかり」の段を読み直す」も載っています。教材研究には必読。教室では章段を切り取って読むため、清少納言の自讃談・失敗談とだけ読まれがちだが、前後の配列や定子サロンの当時の状況を加味して読めば、べつのことがわかってくる、と論じています。

清少納言がなぜ枕草子を書いたのか。漢文の素養や定子の寵愛を鼻に掛けたイヤな女の自慢話、というレッテル貼りは、さすがにもうないでしょうね。平家物語でも、長編全体を見ずに一部だけ切り取って決めつけ、さらにそれをステロタイプに批判する、といった論調が近年見られます。拙稿「眼で聴き脚で見る」(『ともに読む古典』笠間書院)ではそれに反論しました。

池澤夏樹個人編集

池澤夏樹個人編集日本文学全集の『平家物語』(河出書房新社)をひろい読みしました。訳者古川日出男さんの作品を読んだことがないのですが、現代語訳は一言で言うと、騒々しい。改めて古文のもつ可能性を知らされました。しかし古川さんの「前語り」や月報の高畑勲さん・安田登さんのコメントは、平家物語の現代の読者として、いい線を行っています。思うに「琵琶法師の語り」という幻想に囚われすぎたのではないでしょうか。

買って置いた同全集の『日本語のために』を引っ張り出して斜め読みしました。意欲的な編集です。たのしく、そして知的興奮を呼び覚ましてくれます。高橋源一郎さんの終戦詔書の訳はちょっと意外でした。ご本人の創作を併せて読むべきなのでしょうね。

この全集は読者にとっても新鮮で有益ですが、何よりも執筆者たちにとって有益だったのではないでしょうか。憾むらくは本が厚すぎること。今どきこれを片端から読破する暇は誰にも得がたいのでは。

校歌

校歌を歌う季節になりました。古い校歌には、別の学校とそっくりな歌詞がよくあります。私の出た中学の校歌は、「見はるかすもの 清らなる ここ文京の 丘の上」で始まりましたが、58歳で赴任した大学の校歌の出だしも、地名以外はほぼ同じでした(作詞者が同じ人だったのでしょう)。昭憲皇太后の御歌「みがかずは」という歌詞は、私の母校(もと女子師範学校だった)の校歌でもあり、40代後半で赴任した名古屋の女子大学の校歌でもありました。

ちなみに太宰治の「富岳百景」に、主人公がこの歌(金剛石も磨かずば)を口ずさむ場面がありますが、彼はその当時、見合いをしており、ひそかにのろけを吐露しているのだと、私は勝手に解釈しています。

卒業

今日は近所の小学校の卒業式だったようです。校門前を通りかかったら、隣家のお父さんから照れながら挨拶されました。ここへ越してきてすぐ生まれた男の子が、もう卒業。きいきい泣いてうるさかったのが、エレベーターのボタンを押して待っていてくれるようになり、そのことをお父さんの前で褒めたら何故か避けられるようになり、13年経ったのだと振り返りました。

おめでとう、お父さん。男の子はなかなかむつかしいけど、ご自分で思い当たることばかりでしょうね。