栄花物語

加藤静子さんの「『栄花物語の誕生―女房たちのネットワーク-」(「むらさき」2016)を読みました。加藤さんにはすでに『王朝歴史物語の生成と方法』(風間書房)、『王朝歴史物語の方法と享受』(竹林舎)の大著があり、これは講演録なので話が飛んでいるところもありますが、歴史文学の多様なあり方を考えさせられました。

私自身が栄花物語を読んだ時に印象に残ったのは、「さらさら流れていく時間」でした。「かくて◯◯になりぬれば」「かく・・・などありし程にはかなく◯◯にもなりぬ」「はかなう◯◯にもなりぬれば」といった接続句で話が運ばれていく。軍記物語は重要な所では年月日を明記し、いわば挿話を串刺しにする時間記述がはっきり眼につくのですが、栄花物語は違ったやり方をします。編年体で構成されているといいながら、記録に留められる時間ではなく人間が感じる時間の速さが主導力、とでも言ったらいいでしょうか。

栄花物語が人物の呼称の使い分けによって歴史の遠近感を表出したということ、また栄花物語の編述は彰子方女房たちを中心にしてなされ、多くの女房やOGたちによって多層的に書き継がれたであろうという推定には興味をそそられました。歴史文学の成立の共通性と、作品ごと・時代による特殊性とを考える契機が、ここにあるからです。

加藤さんはすでに名誉教授という肩書ですが、昨年9月の関根慶子賞贈呈式のスピーチには、新規のテーマを見るや突進して行くばりばりの研究者の迫力が溢れていて、圧倒されました。