希臘の寝台

たしかギリシャ神話に、旅人を、身長に合わない寝台に寝かせる宿の話があったと思います。大男は小さな寝台に寝かせてはみ出す手足を切り落とし、小男は大きな寝台に寝かせて槌で手足をたたき伸ばすー文科相の言う「身の丈」とは、あの宿の寝台の寸法のことでしょうか。

今回の入試改革は、大学入試の趣旨を外れていると思います。入試は入った後に目的を達成できるか否かの適性を問うもの。それ以下でもそれ以上でもありません。高校卒業資格試験は本来別物でしょうし、4年後に企業の求める人材になれるかどうかも別の話です。英語には4技能が必要、というと尤もなように聞こえますが、そもそも大学で学ぶために最少限度必要な能力とは、どんなものでしょうか(現実には、いま大学にはABCがまともに書けない学生も在籍していますが、その問題はまた別)。

日本人は18歳までに、一定の英語検定能力を獲得しておくべきだ、という議論なら成り立つ(その是非を論じ合える)かもしれません。大学教育における外国語の水準を一定に保つための基準を設ける、との議論も、受けて立つのにやぶさかではありません。中高の英語教育の基本方針は、それぞれ現場で改革の道があるでしょう。しかし大学へ入るために通らねばならぬ関門として一律に、異なる性格の有料民間検定試験を国が義務づけようとした今回の入試改革は、出発点から迷走していると言わざるを得ません。

そろそろ各大学は、自前の入試だけで入学を許可する、という原点に立ち戻ってはどうでしょうか。少子化で倍率も落ち着いてきたことだし。不公平な、不条理な共通テストで落とされるより、自分が行きたい大学の水準に向けて、「身の丈」に合った努力をする方が納得できます。尤も、センター関連の雇用が大幅に減って、文科省が困るか。