知的伝統

朝日賞受賞の弁に、ローマ法研究者の木庭顕氏がこう書いています―時代に流されないことは簡単ではないが、重要です。その時こそ、古典の力が安定的です。

古典が役に立つとか、必要だとかではなく、「古典の力が安定的だ」という言い方に、信頼の念を抱きました。さらに、知的伝統を若い世代に伝える際の注意点として、彼は次のように結んでいます。「伝え手にとって重要なのは、受け手を低く見ないこと。伝わらないとしたら、レベルの落とし方が足らないのではなく、レベルそのものが低すぎるのです。」

我が意を得ました。今まで、TVのディレクターや出版社の編集者と、何度そういう押し問答をしてきたことでしょう。大学の広報が雇った記者が、私のインタビューはそっちのけで、机上の置物ばかり撮影して、大学教師はもっと親しみやすくなくっちゃ、と言ったので、激怒したこともありました(私の演習はこわもてなので、親しみやすい犬の置物なんかで紹介されたら、偽表示になってしまいます)。

大衆を低く見るな。低いのはおまえの方だ。当今の、古典の大衆化にもそう言いたくなる例が少なくありません。分かりやすさとは何か、そこにそれなりの哲学がなければならない。

木庭さんの本を読んで見るかな。でもローマ法?解るか。第一、これから軍記物語や中世史の本を山ほど読まなければならないのに、どうすんの?