信濃土産

一昨日長野の農産物直売所から送った宅配便が届きました。旅行に出ると、地元で開発した商品や農産物を買ってみるのが習慣です。今回買ったのは―玉葱のジャム(果たして美味しいのか?期待と不安)、洋梨ジャム、ネクタリンのジャム。林檎とワインのドレッシング、林檎ドレッシング、鹿肉のサラミ、手作りアップルパイ。さらに野沢菜の菜の花、アスパラガス、野蒜。絵葉書数枚。

今夜は上記の野菜3種で一杯やりました。菜の花は胡麻油で塩炒めにしたのですが、苦みがつよくて野性的。洗う際にごみを取り除こうとしたら、八重桜の花びらが何片も混じっていたのでした。アスパラガスは太いのに柔らかく、マヨネーズ和えで。野蒜の葉は茹で、根は洗っただけで、嘗め味噌をつけていただきました。小さなアップルパイは、ほどよい甘さでした。

鳥取に暮らしたとき、地元がいかに地下興し(じげおこし)に苦労しているか、しかしそれがいかにしばしば、都会の消費者の感覚からはずれているかを目撃しました。ほんのちょっとしたアイディアで垢抜けするのに、と思う物をよく見かけました。それゆえこれは私なりの地方応援です。

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新緑の真田邸庭園(山本芳美撮影)

みすずかる

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1泊2日で、30年来の旧友の故郷を訪ねました。みすずかる信濃の松代です。林檎の花を見たい、と頼んで連れて行って貰いました。蕾の外側はぽっと紅色を帯び、開いた花は純白です。山の斜面一面が林檎畑で白くかすんで見え、雪国の春は遅い桜や花桃や水木、牡丹、躑躅、山吹、藤、水仙、蒲公英、菜の花、鈴蘭、紫蘭その他、木も花も一斉に咲き乱れて、山肌は濃淡の緑に染め分けられ、自分の身体も色とりどりに染まりそうでした。

友人もその家族も、林檎の花をしみじみ見たことはない(あまりに身近かすぎて、わざわざ見るものではない)そうで、一緒に綺麗だねえと感動してくれました。

小布施で十割蕎麦を食べました。甘みがあって、思わず山盛り平らげてしまいました。北斎館と岩松院で葛飾北斎の展示を観ました。小布施は栗の産地、歩道には栗材のチップが敷き詰められ、巨木の多い、散策に向いた静かな町です。

夕食は松代の山菜を活かした創作料理で、お互いの健康に乾杯しました。料亭の床の間には真田信之を真中にその父・弟の肖像が掛けてあり、女将が滔々と説明してくれました。

投宿した信州松代ロイヤルホテルにはかつて資料調査で何度も来たのですが、その時の同行者の中にはすでに故人になった人もあり、あちこちで懐旧の情に囚われました。

2日目の今日は、松代見物。海津城趾や真田邸、山寺常山邸、象山地下壕、象山神社などを案内して貰いました。春秋の地元の祭には、真田家の御当主が馬上ゆたかに練り歩き、今も「殿!」という呼び声がかかるそうです。どこも新緑が美しく、鶯がボイストレーナーにしたいくらいくっきりと鳴いていました。そこここに友人の幼年時代の腕白ぶりの逸話があり、地元のボランティア活動の様子も知ることができ、ふるさとのある人はいいなあ(東京育ちには、こういうふるさとはない)と思いました。

昼食は辛み大根のおろし汁に饂飩を入れて食べる「おしぼり」という料理で、涙が出るほどの辛さでした。杏おこわという、ちょっと甘酸っぱい炊き込み御飯が美味しくて、かりかり梅か南高梅で代用して作って見ようかなと思っています。

長野駅の売店で、おやきと軽井沢ビールを買い込みました。列車が上田を通過するとき、山の上に十五夜の月が出ました。

 

西尾実とフィヒテ

松崎正治さんの「西尾実の国語教育思想における言語観ーフィヒテ言語哲学を媒介としてー」(「同志社女子大学学術教育年報」67)を読みました。日本の国語教育の父ともいえる西尾実の言語生活論の発想源を、1920年代後半から1945年頃までの彼の言説から確かめようとするに当たり、ドイツの哲学者フィヒテが1807年から翌年にかけて行った講演「ドイツ国民に告ぐ」が日本の国語教育に与えた影響に注目して、考察した論文です。

さきの大戦に、ふつうの日本人が知らず知らず駆り立てられて行った道筋が、一筋縄ではいかぬものであったこと、そのあやまちを繰り返さないための正しい警戒心をどう保持していくかを改めて考えさせられました。新しい世界思想に遅れまいとすることや集団のアイデンティティ育成・維持に熱心になることの危険性を、かすかな寒気と共に感じたのです。

西尾実の時代でいえば、遅れて出発した近代国家日本が、欧州諸国の文化に追いつき頭角を顕わさねばと「はりきる」中で、ドイツ哲学のみならず、異文化融合、日本語教育民俗学等々、それだけを取り出せば政治権力や軍国主義とは必ずしも一体ではない問題に取り組み、「前向きに」発言する内に、結果的に時の趨勢に奉仕していく怖さ―それを、現代の私たちは充分に認識できているでしょうか。

当時の人々の言動を、現代の安全地帯から非難するのはたやすい。重要なのは、この「怖さ」をどれだけ知っているか、現代においてはまた別の相貌を備えているかもしれないその種の誘惑を、きっぱりと退ける構えが常時あるのか、でしょう。

薔薇とオジサン

給水公苑に薔薇を観に行きました。水道局が配水池の上に蓋をして薔薇を植えた公園です。今が真っ盛り、さまざまな種類の薔薇が咲き、空気はその香りで満たされていました。ベンチの端に座って、(日曜版なので)新聞を2時間近くかかって読みました。平日に来ると、サボっている中学生や営業マンにベンチが占領されている(道路より高くなっているので見つかりにくい)のですが、今日は写生に来た子供たち、車椅子を押す老夫婦、乳母車に赤ちゃんを乗せた若いお父さんなどが出入りしていました。

違和感があったのは、初老の男たち3人とフリルだらけのコスチューム(女子用語ではフリフリと言います)を着た若い女性(モデルでしょう)のグループ。花を写すのではなく、ベンチに土足で乗ったり柱に抱きついたりする女性を、嬉々として撮りまくり。アマチュアの撮影会なのでしょうが、オジサンたちがそのモデルに向かって、世間一般の女性のことをババア、ババアと言って話すのです。あんたらはもう彼女側の世界の男ではないよ、とつっこみたくなりました。

薔薇の名前にはなぜか楽曲絡みのものが多い。サラバンドとかカリンカとかチャールストンとか。プリンセスミチコも咲いていました。歳月の流れを、改めて思いました。

帰宅したら、紫外線に灼かれたのか、腕の皮膚がかるい炎症を起こしていました。

ジャスミン

我が家の素馨花もそろそろ終わりのようです。2週間くらいの間、部屋に流れ込む芳香を楽しませて貰いました。弟が亡くなる前、小さな枝を剪って持って行き、ペットボトルに挿して置いてきたところ、当直の看護師さんが「病室に入るとたんに、いい香りがして」と喜んでくれました。弟は、「ぼく花粉症だから」と言っただけでしたが。

香りのいい花は周囲をもなぐさめます。ジンジャーやカトレアは夜に香るので、疲れて帰宅した時にうれしい。以前、近所に藤袴を育てていたお宅があり、暗くなって通るとこすれた葉がさあっと香って、無言でいたわられたような気がしました。

児童館の庭の蜜柑の木が咲いているのを、今日、見つけました。柑橘類は気高い香りがします。グレープフルーツも実生で育つそうで、いつか試してみたいと思っています。

我が家では、この次は梔子(くちなし)が香ります。梅、沈丁花、木犀なども欲しい木ですが、我が家の広さからいって無理でしょう。梅だけは実生で育ててみようと、近所の白梅の梢を見上げては落ちるのを狙っています。昨年、鉢に埋めた実はどうやら梅ではなく杏だったらしい。未だ芽が出ません。

緑陰

このところ連日、実家の片付けをしたり形見分けの発送をしたりしたので、心身共に疲労困憊。久しぶりに大学構内の大楠の下で、ゆっくり朝刊を読みました。幹は三抱えもあろうという老楠です。すっぽりと若緑色の傘の下に入って、頭上から降ってくる鳥の声や、観光に来たらしい中国人家族のお喋りを片耳に過ごした40分。赤門から出て、ピアノの生演奏のある喫茶店で珈琲を飲み、老舗の和菓子屋で柏餅を買って帰りました。luxuriousな休日になりました。

草も木も新緑の美しさ、新しい葉の造形のみごとさには打たれます。未だ陽に灼けていない、虫に食われていないみずみずしい葉は、それだけ活けても存在感があります。

かつてインド(そこらじゅうに、いつも、花が咲きあふれている土地柄です)へ行った時、女性たちのなにげない花あしらいの巧みさに驚きました。インドでは、屋敷のそこここに神様が祀られていて、毎朝供花を新しくするのは嫁の役目なのだとか。そのインドで生け花教室を開いている日本人に、どうやって技術的優位を示すのか訊いたところ、「花を活けても差はつかない。葉だけ、枝だけを活けてみせると華道というものを解ってもらえる」とのことでした。

奈良絵本「新曲」

山本陽子さんの「奈良絵本『新曲』挿絵の制作過程を考えるー明星大学本と諸本および『源氏小鏡』を比較してー」(「明星大学研究紀要」25)を読みました。奈良絵本とは、近世初期に京都で作られた手書きの絵入り本のことです。「新曲」は太平記中の一挿話(巻18「一宮御息所事」)を取り出して作られた幸若の台本をもとにした作品です。山本さんは明星大学蔵本「新曲」を諸本と比較し、明星大学本以外は寛永版本「新曲」の挿絵場面選択を踏襲しており、寛永版本が絵本制作過程で挿絵挿入位置を定めるために利用されたと推測しています。

これに対し、明星大学本「新曲」は奈良絵本『源氏小鏡』2種と、同じ工房もしくは共通の絵師によって、一部は合戦物の奈良絵本を参照して制作されたのではないかと想定しています。構図や描法が似ているか否かの判定は案外難しく、たくさんの例を見た上で、偶発的な一致や描く際の定型によるものではないことを証明しなければなりません。その方法を編み出していく必要があります。例えば一致する部分が、本来の挿絵のあるべき姿からは外れている点などが見つけられればかなり確実になるでしょう。

奈良絵本の制作過程には未だ不明な点が多く、殊に私たちは作品別・ジャンル別で考えがちですが、実際の制作現場ではそうではなかったはずで、このような提言がいろいろ出され、検証を重ねられる必要があります。

なお「新曲」単独で絵巻や絵本に仕立てられたものは殆どない、としていますが、國學院大学にも横本1冊(下巻欠)の絵本があります。上巻8図の絵があるので、寛永版本とは別物でしょう。一見をお奨めします。

また明星大学本第13図の典拠と意味は不明としていますが、同じ挿話である室町物語の「中書王物語」や原典の「太平記」が一宮の死までを描くのに対し、幸若は公家一統の御代到来の祝言で終わっているので、このまま読めば栄華と娯楽の一宮邸を示すと見るべきでしょう。あるいは、前半の絵合の場面の錯簡という仮説を立てることも可能でしょうか。