志木便り・青春腫物篇

志木在住の神野藤昭夫さんから写メールが来ました。日々散歩を心がけ、毎週プールで500メートルを泳ぎ、毎日の炊事2食を担当し、地下の書斎(自慢の自動書庫がある)と3階の寝室を往復し、春には巴里に滞在、ちょくちょく上京・・・という超老後生活らしいのですが、目が悪い、血圧が高いなどと高齢者仲間に話を合わせて呉れています。

秋の蝶

写真は散歩の嘱目だそう。日本画のようですね。ほかにも楓の葉の影や、切株に植え込まれた草花など面白い画像が添えられていましたが、私の技術ではファイル形式の変換ができないので貼れませんでした。御自身のSNSがあれば見られるかもしれません。

神野藤さんは若い頃、滝野川に住んでいたことがあるそうで、私の母方の叔父が開業していた皮膚科に、それと知らずに(勿論、未だ互いの存在も知るはずがない)かかったことがあることが、話している内に判りました。私の母は次女、叔父は年の離れた三男、末っ子でした。幼年時代は身体が弱く、母親から蛇の生き血や蛞蝓を飲まされた(当時の民間療法です)と言っていました。中耳炎をこじらせて片耳が悪くなり、聴診器を使わない皮膚科を専攻したのですが、一時期は東大の心療内科を手伝いに行っていて、問いただすと「脳の表皮も皮膚科の領域だから」と言うのです。こちらは???でした。

新潟大医学部に合格した時は、新婚早々の私の父から、ちゃんと勉強するように、と長い手紙が届いたそうです(父は長男だったので、兄貴気分で心配したのでしょう)。やたらに声が大きく、浪漫家気取りで少々持て余しました。開業医としては人気があったらしく、若き日のノーベル賞作家を診たこともあったそうですが、101歳で亡くなりました。患者の神野藤青年に、何故か『きけわだつみの声』の一読を勧めたとのことで、腫物の治療と何の関係があったのか、分かりません。この18日が命日です。