羨望の伊太利亜紀行(2)

松薗斉さんの南伊太利亜紀行の続編です。

【8月25日、バーリを離れ、さらに南の内陸部の町マルティナ・フランカへ。この町は、私の住む名古屋市本山にあるイタリア料理店「ピアチェーレ・ミオ」の店主エジーリオの生まれた町で、彼に勧められて選びました。】

民泊の室内

【ここでは民泊。貸主の趣味の品が並んでいて、知り合いの家にお邪魔しているような感じ。何もかも揃っているのですが、エアコンがない。ここは、暑い夏の昼下がり、家の中ではエアコンなしでも快適に過ごせるのですね。羨ましい。町は細い通りが縦横無尽に交差する複雑な構造。私の場合、外に出ても一度も自力で戻れませんでした。】

ブリンディシの円柱

【Colonne Romane というローマ時代の2つの円柱の1つで、アッピア街道の終点を示す遺構です。ここにあるのは修復された1本だけで、もう1本は中世にレッチェ守護聖人がペストからブリンディシを守ってくれたお礼に、レッチェに贈られたそうです。

旧市街には数多くの教会があり、サン・ベネデット教会は元は中世の女子修道院だったらしく、内庭の静かなたたずまいと聖堂の美しいステンドグラスに心が洗われます。】

サン・ベネディット教会の中庭

【8月27日、「プーリアの真珠」または「バロックフィレンツェ」とも呼ばれるレッチェを訪ねました。各教会の溢れるばかりのバロックの装飾に圧倒され、観光客の多さにも圧倒され、またずっと暑さにも圧倒されて、小休憩。】

レッチェ展望

【その後オストゥーニへ移動。この町は、小山の頂上付近に張り付いた町です。白く塗られた家ばかりで、遠くからも、町の中を歩いていても、目にまぶしく美しい。】

オストゥーニの小径

この間、あちこちでいろんな人に助けられ、危うくバスに乗り損ねそうになったり、諸外国から来た人たちと歓談したり、習ったイタリア語が役に立ったらしい。また都市によって交通機関や観光用チケットの購入法も違って、伊太利亜旅行にはスマホと健脚とが必須のようです。