更級日記異解

高田信敬さんの論文「上洛の旅―『更級日記』異解ー」(「国文鶴見」56)を読みました。川越の友人からも、近年は少なくなった論文の見本、という手紙が来ました。

更級日記の謎の一つを明快に解いた論文です。更級日記の研究者は無論、教材として扱う教師は必読(ところどころ、彼一流の気取った言い回しがあっても我慢して読み飛ばします)!更級日記の作者は、寛仁5年(1021)正月の菅原孝標上総介解替の前年に一家と共に帰京したとする通説は誤りで、彼女は一足早く、単身で上洛したのではないかという解釈案です。

論文末尾の摘要によれば、①任期満了による孝標の上洛は寛仁5年正月以前にはあり得ない ②受領の赴任はまず本人のみ、家族はその後。帰洛の場合も同様か ③家族を伴う公的移動は交替の政務完了後に認められる ④寛仁4年に孝標が私用で上京する可能性は皆無ではないが、交替時期直前にそのような行動を取ることは考えにくい ⑤国司任期満了以前に家族を帰洛させることを中上りと呼んだのではないか ⑥更級日記作者の上洛の旅に父孝標は同道しなかった、それゆえ父に関する記述がないのは当然―以上の解釈を、当時の史料や説話集などの例を丹念に集めて導き出しています。

なお最後に継母も任地での家政の始末のため、後日孝標と共に帰京したのであろう、それゆえ日記に触れられていないのでは、と述べています。結語「何かの魁となる主張は、むしろこれを重んじたい。問わるべきは、多くの追随者が虚を実と伝えることである。先行研究を繋ぎ合わせて論文とすることに意義は薄く、いかなる鉄案に対しても不断の検証を欠いてはならない。」「多彩な追尋の試みに応じて対象はその秘奥へ通ずる扉を開いてくれるから」に拍手!本論文を読まずして更級日記を語るな。