豊後の春

豊後国で老後を楽しんでいる友人から、津久見河津桜の写真を送ってきたので、土地の説明をつけて欲しいと言ったところ、よく知らないという。しかし遠い記憶の底にある地名だなと思って調べたら、紀州蜜柑の原木がある所でした。

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津久見河津桜

昭和41年の3月末から4月初めにかけて、学部の同級生3人で九州一周旅行に出かけました。新学期からは卒論と就活に逐われることが判っていたので、最後の春休みでした。

春の花々の彩り豊かな、そして個性の違う3人組の楽しい珍道中でした。初日は父の実家に泊まったのですが、祖母が「お前が初めて来たから従姉妹を集めといたよ」と言い、襖を開けたら初対面十数人の女子が現れて吃驚。未だにあの時いたのが誰と誰なのか、分かりません。

1ヶ月近くリュックを背負って九州を回りましたが、当時は宮崎新婚旅行がブームで、どこへ行っても明色のスーツと帽子姿の新婦に出遭い、数えたら1日30組以上。印象に残っている土地は柳川、高千穂、天草の戦場跡、それに長崎でしょうか。宿(学生の貧乏旅行ですから、ユースホステルです。卵かけご飯が苦手なのに、1日も欠かさず朝食に生卵が出たのは辛かった)を予約する際に3月が大の月であることを忘れ、長崎泊が予定より1日増えて、街に流れる交通安全ソングを歌えるようになりました。坂を歩き回り、チャペル(女性更生施設だった)に飛び込んで、ミサを傍聴させて貰ったりもしました。

列車の都合で大分県では時間が半端だったため、畑の中に立つ蜜柑の原木を観に行ったり、駅前のパチンコ屋に入ってみたりしました。朝一番だったせいか、玉が滝のように出て大喜びしたら、店員が機械の裏へ回ってちょこちょこといじり、ぴたりと出なくなりました。それゆえパチンコは、生涯にあの1度きりです。