左富士

ようやく富士山にも降雪が来て、秀峯らしい姿になったようです。我が家は西が塞がっているので、ベランダからは見えません。ときどき、メールチェックのついでに、ツイッターの「今朝富士」を検索します。前にも書きましたが、投稿写真の中でも富士山の画像は完成度の高いものが多く、思わず息を呑むような作品もあります。

各地の「○○富士」が出てくるのも楽しく、また通勤路や自宅から撮った画像からは、自分の体験と引き比べてあれこれ思いを馳せることができます。富士川を渡る列車から毎日撮られる写真からは、名古屋在勤時代を思い出し、多摩川を渡ってすぐの東急線から撮られる画像からは、たまキャンパスで教えた頃のことを思い出します。大きく撮った心算でも、実際は探してもよく見えないほど小さく写っているのも、ご愛敬。太宰治の「富岳百景」は名作ですが、富士は今日も、人間のさまざまな場面を抱えこみながら、黙って鎮座しているのです。

「鴨東通信」110号(思文閣出版 2020/4)に片平博文さんが「名所「左富士」の成立」と題するエッセイを書いています。江戸から京へ東海道を下ると、富士は右手に見えるのが普通ですが、広重の「東海道五十三次」には「左富士」という1枚を含む版があるそうです。延宝8(1680)年閏8月6日の台風による高潮に遭って中吉原の宿は壊滅的被害を受け、新吉原と呼ばれる内陸へ移転した、その結果、東海道は大きく湾曲し、富士を左手に見る新名所が誕生したというのです。今の国道1号線やJR東海道線ではどうなっているのでしょう(新幹線では富士はずっと右)。

本誌には中島楽章さん「琉球人がマラッカで買った酒」や、和田積希さんの史料探訪「浅井忠〈武士山狩図〉」など、ほどよい長さの、雅味ある文章が詰め込まれています。