仏印進駐

ヘリがうるさく上空を旋回しています。まもなく戦没者追悼式が始まるからでしょう。ツンドクの山の中から、伊藤桂一『鎮南関をめざしてー北部仏印進駐戦』(光人社 NF文庫 2018)を引っ張り出してきて、読みました。伊藤桂一は、兵卒の目線で淡々と叙述する戦記作家として記憶に残っていた人でした。「いぶし銀のような」との評もあったと思います。

「さきの大戦」というと、中国大陸と南方洋上が主な舞台だったような気がしていますが(我が家でも父は武漢、叔父はミンダナオへ出征しました)、中国軍への補給線を絶ち、物資を確保するために、日本はフランスが植民地化していたインドシナ半島へも出兵し、作家の久米正雄が激励講演に訪れたりしていたのです。林芙美子の『浮雲』は、この戦中戦後の男女の物語。熱帯の夜の庭園の描写が、印象的な場面もあります。

本書は「通信兵の戦話」「北部仏印平和進駐の顛末」「北部仏印進駐」の三部構成になっていて、煽情的ではなく具体的に記述されていますが、思わず息を呑む描写も少なくありません。そして、戦場における、特異に見える言動は、私たちの日常と地続きだとつくづく思わざるを得ません。眼前の難題を突破しなければチームの使命が果たせない、もしくは全員の運命が開けない、となったら、加害も被害もなく、やってやる、という気になるのではないでしょうか。有能な人はなおさら。

終戦記念日前に例年放送されるドキュメントやドラマを視ながら、ああ75年の歳月はやはり大きな隔たりだ、と思うことが、今年は屡々ありました。私自身、近年は身の回りの記憶からではなく、「さきの大戦」とそれに至る径庭を、俯瞰的に、因果を踏まえて知りたい、と思うようになりました。軍記物語の成立を、いま改めて考えます。