原田敦史さんの「平重衡」(日文協「日本文学」68:7)を読みました。以仁王の乱に荷担した南都を攻めて、東大寺・興福寺を炎上させる結果を招いてしまった重衡(命を下した清盛はその報いを受けて熱病死する)。心ならずもとはいえ、仏像・経典・僧侶を害すれば決して許されることのない大罪を背負うことになり、一ノ谷で生け捕りとなった重衡は、一族が壇ノ浦で滅びた後、独り大罪を抱えて死に向き合うことになります。
その彼には、妻・恋人・頼朝から派遣された接待役―立場を異にする3人の女性との交情を語る挿話が添えられています。また法然上人との対面、受戒と説法が語られ、そこから読み取れる法然義と平家物語作者の思想との関係が、従来問題にされてきました。
しかし原田さんは、平家物語に記される法然の説法は、物語が重衡に与えた、信じることの困難さに立ち向かうという課題のために構成されたものだと指摘します。添えられた女性説話もまた、そのテーマのために構成されていると読むのです。いわばこれは平家物語研究でのコロンブスの卵。仏教が、文学としての平家物語の中でどのように消化され、どのように機能しているかを論じることこそが我々の仕事だ、と改めて意識させられます。
原田さんの論の特色は、読みのこまやかさです。それは対象作品だけでなく、先行研究に対しても。妙なこじつけや我田引水ではなく、しかし新鮮で的確な読みが、ともすれば袋小路に入りっきりになっていた問題を、開けた草地へ解放してくれます。
本誌は「中世における宗教と文学研究との架橋」特集。橋本正俊さんの「神々を配置する」、立木宏哉さんの「明恵の夢における「冥」の観念」も面白く、また有益でした。前者からは、軍記物語中の熊野・白山に注釈をつける時感じた困難さを、後者からは、初期仏教では仏の姿を決して描かない事実を想起しました。