手に持つ道具

新聞の投書欄が最近、ときどき10代の意見特集をします。なるほどなあと思う時もありますが、苦笑することもなくはありません。編集部までがその短慮に同調しているような場合は、困ったもんだと思いつつも読み過ごします。

小学校で、手が変形するという理由でシャープペン使用を禁止しているのは不毛だとする投書。「鉛筆を削る時間があれば、シャープペンシルでカチカチ芯を出し、漢字を一つでも二つでも書ける」と投書者は言います。手が変形する根拠はネットで調べても見つからない、技術が日々進歩する時代だ、小学校にも筋の通った判断が必要だ、よりよい日本になるために、とあります。

ネットになければ根拠がないとか、1字でも2字でも早く書けるとか、いかにも新時代のもの言いですが、思わずこう言いたくなります―小学生は手書きで秒を争う前に、身体で覚えなければならないことがある、と。TVで、箸の持ち方がでたらめな大人をよく見かけますが、ほんのちょっとした習慣なのに、子供の頃に身体が覚えなかったことは大きい。木で出来た鉛筆を握り、日本の文字を書く時の力の出し入れを覚えること、鉛筆を削る(出来れば小さな刃物で)時間に考えること・・・手に持つ道具から学ぶことは小学生くらいまでの間が大事。後年になって実感するのはとても難しいのです。

単なる郷愁で言うのではありません。人間も自然界の一部。木や水や土の感触と、その使いこなし方を、幼いうちに肌になじませておくことが必要です、大人になってとんでもない過ちを引き起こさないため、もしくは過ちを是正する能力を養っておくために。

投書者と同じ水準で言うなら―センター試験には鉛筆しか持ち込めないよ!あるいは、いま世界でワープロやシャープペンで文字を書き習う子供たちは、何%か知ってる?