平家歌壇

中村文さんの「経盛家歌合の性格―<平家歌壇>の再検討」(『変革期の社会と九条兼実―『玉葉』をひらく』(勉誠出版)を読みました。かつて谷山茂氏が、永万から治承に至る時期に、平家一門の権勢を背景とする「平家歌壇」があった、とされたのは果たしてほんとうか、という問いを立てて検証しています。

谷山茂氏は、私が院生のとき、初めて学会発表をした際に質問をされたのですが、上がっていた私は質問の意味がよく分からず、とんちんかんな受け答えをしてしまって、それがトラウマとなり、著作集を買い込んで奉読しました。爾来、平家歌壇というものがあったことに疑念をさしはさまずに来たのですが、中村さんは、この時期活発に歌合を催した経盛は、清盛とは政治的には共同歩調を取っておらず、また他家の催した和歌的行事と比べても特に異なる性格も見いだせないことを論証しています。

45年間の思い込みが外されて、何だか肌寒いような気がしないでもありませんが、同時にそうだろうなあ、と納得もしました。覚一本平家物語の中では、清盛の強烈な自己主張と、経盛や忠度の歌人的述懐とがある種のバランスを保っていますが、それが事実そのものだったという保証はどこにもない。むしろ物語が必要とし、自ら創り出したバランスだったのでしょう。

物語が私たちに与えた影響は大きく、根深い。戦争や政治家のイメージだけでなく、時代の雰囲気や文化的嗜好さえも、私たちは物語から教えられたままに思い描いていて、しかもそれに気づかずにいるのです。