リズムの哲学

必要があって、山崎正和『リズムの哲学ノート』(中央公論新社)を取り寄せ、川本浩嗣『日本詩歌の伝統ー七と五の詩学―』(岩波書店 1991)と併せて読んでいます。山崎正和には戯曲『世阿弥』『野望と夏草』で注目し、1970年代半ばまでは評論の殆どを追跡していたのですが、その後の政治的発言に違和感を持ち、著書を読んだのは久しぶりでした。

本書はいわば一種の哲学史でもあり、いかにも演劇をやってきた人らしく身体感覚を重視して、「リズム」をキーワードに、世界認識から人間の老いの本質までとらえようとした、大がかりなエッセ―です。「リズム」(著者はリズムを「現象」と言っています)という語は、ここでは幅広い意味で使われ、ときにはこの語でなくても、と思われる行論もありますが、音韻や拍にこだわらず、一つの原理のように考えていく視点は、大いに参考になりました。

世阿弥のいう序破急や、二項対立の思想、鹿おどしの理論(流動→堰き止め→音)などを使って繰り広げられる考察には、共感しました。ただ、最終章で「無常観とはリズムの感覚の派生物であって、(中略)とりわけ必然的に終わりがあることを知る世界観」とするのは、私の理解とはちょっと違うなと思いました。しかし無常観が中世のみでなく現代にも通用する、という考え方は大事です。殊にこの頃の世相では。

第1章の末尾に「リズムは哲学にとってこれまで思いもかけなかった躓きの石になりそう」としながら、それに取り組む自分の仕事が「真の知的な冒険となるか、あるいは老耄の徒労となるかはやってみなければわからない」とあるのを見て、励まされました。臆病風や、老後の平安願望にとりつかれるのはやめよう、と。