能書の説話

磯水絵さんから頂戴した「能書の説話―諸道の説話研究に向けて―」(「二松学舎大学大学院紀要」32号)、「院の北面―西行と長明―」(「西行学」8号 2017/8)、「教科書に載る説話―『宇治拾遺物語』「袴垂、保昌に合ふ事」について―」(「二松学舎大学人文論叢」100号)を読みました。磯さんのパワフルな活躍ぶりは衆目の集まるところですが、殊に芸能説話の研究に実績があります。

「能書の説話」は、平安末期から中世にかけての資料から、書の名手についての記述を抜き出し、三筆とか三跡といった名人中心の書道史は近世に出来たもの、と結んでいます。能書説話の研究には未だ蓄積がない、というのは意外でした。武士も諸芸諸道の一つ、と言われるようになり、長門切など古筆の研究が国文学の核心問題に関わるようになってきたこの頃、この分野はとても面白そうな気がするのですが。

「教科書に載る説話」は、『ともに読む古典』(笠間書院 2017)の問題意識ともつながって、興味深く読みました。ただ教育現場としては、未だ仮定の段階にある学説を一々紹介する時間はないでしょう。こんな説も出ているから読んでごらん、と教師がその場に応じて、関心を引くきっかけを作っておくくらいが関の山だと思います。また教科書の注が親切すぎると教えにくい、生徒の主体性を引き出す機会を潰すことも事実です。何もかもを教科書に要求すると、現場の面白みがなくなります。