年賀状

年賀状が刷り上がってきました。中学2年の図工の時間にゴム版の作り方を教わってから3色刷の手製版画で出すようになりましたが、だんだん枚数が増え、300枚を越えてからは印刷にしました。一番多い時期には500枚を越えたこともありましたが、今はだいぶ減りました。

100枚出した年には、百人一首の取札を草仮名で書いてみたりしましたが、貰った人から苦情が出た(「わがみよにふるながめせしまに」が行った女友達から)ので、その年限りになりました。べつに深い意味はなかったのですが。

若い頃、憧れの先生方に出す時は緊張しました。永積安明先生は年が明けてから寒中見舞でお返事を下さいました。西尾光一先生は晩年、賀状をやめると宣言なさったのですが、こちらから出す分にはいいだろうと思って出し続け、叱られたことがありました。自分が高齢になってその負担感を理解できるようになりましたが、賀状のやりとりしかつきあいのない旧友から前触れなしで打ち切られると、やはり寂しい気がします。

私も、退き際はどうしようかと考えるようになりましたが、とりあえず宛名を自分で書ける間は、と思っています。屠蘇酒の後、賀状をめくりながらあの土地、この人のことに思いを馳せるのは、正月に欠かせない楽しみだからです。