現代詩

渡邊十絲子さんの『今を生きるための現代詩』(講談社 現代新書)をようやく読み了えました。読みにくい本だというわけではありません。その逆なのですが、本屋で見かけて買ってからベッドサイドに置き、4年近くかかってしまいました。入試問題を作っていた頃は、夏休みに、未だ出たばかり(つまり、教科書未採用)の、シャープな評論文を物色して読む仕事がありましたが、今は、自分の専門分野の新刊を追っかけてあっぷあっぷしている日々。その日、本屋で衝動買いした本を、一気に読破する生活こそ、定年後の憧れだったのですが・・・

そういうわけで、話題としては古いかもしれませんが、この本自体は古びていない。分かりやすくて鋭い、しかも、生きていく上で必要な「優しさ」に満ちた本です。目次には、現代詩はこわくない、わからなさの価値、たちあらわれる異郷、生を読みかえる、現代詩はおもしろい、等々の見出しが並んでいます。あとがきで著者は、詩とは「世界の手ざわり」を知らしめてくれるものだ、と言っています。「今の自分がまだ気づくことのできない美しい法則が、世界のどこかにかくされてあることを意識するようになる」と。ジャン・ジロドゥに、演劇とは、見終わって劇場を出て行く人々が、前よりこの世界をもっとよく理解できるようになり、街の並木が、灯りが、吹きぬける風がいとおしくなるものだ、という意味の言葉があったのを思い出します。文学に何ができるか、を端的に言い表した言葉ではないでしょうか。

殊に現代国語を教える教員の方々には必読の書。教室で詩の「読解」の正答を示すことに疑問を持ったことはありませんか?著者がかつて生徒として感じた疑問は、今も再生産され続けているのでしょうか。

八重桜

長泉寺・法真寺・赤門脇と、種類の違う八重桜を見て歩きました。赤門脇には2本あったのですが、いつの間にか1本は切り株になってしまいました。ベンチに座っていると、ちょうど楠の葉の交代期で、落葉が肩に当たって、かるく痛い。行き交う老若を眺めながらヨーグルトを1本食べて、帰って来ました。

風に乗った桜の花びらが流れて行くのを見ていると、とくべつな時間の流れを感じます。三好達治に「あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ・・・」で始まる、「甃のうへ」という有名な詩があります。この、とくべつな時間を感じさせる詩です。天平の都のイメージでもありましょうか。学生時代に「あれは護国寺の桜を歌った詩だ、だから登場する女性はお茶大生だ」と言った教師がいましたが(「あの詩の優雅さに引き替え、現代の学生ときたら・・・」と続きそうな口ぶりだったので、みんな無視しました)、何か根拠があるのでしょうか。当時、護国寺には八重桜の若木の並木があったのですが、昨春、観に行ったら見当たらない。すでに老木となったみごとな八重桜たちは、1本ずつ木立の中に移植されていたのでした。

50年前には、護国寺の杜で時鳥の鳴くのが茗荷谷あたりでも聞こえました。よく晴れた日には遠く筑波山が見えることもありました。

                護国寺の八重桜(2016伊藤悦子撮影)f:id:mamedlit:20170417145731j:plain

鎌倉歩き

日本史の坂井孝一さんから、「NHK総合テレビ4月21日(金曜日)午後8時から放送の『歴史秘話ヒストリア』に少しだけ出演することになりました(全体で43分ほどの放送時間のうち、私が出演する「鎌倉」の部は13分ほど、再現ドラマやアナ単独の部分などを入れて編集しますから、私が画面に映るのはせいぜい2~3分程度です)。」というメールが来ました。3月3日にロケをし、井上あさひアナと鶴岡八幡宮や永福寺跡の史跡などを見て歩きながら、鎌倉の知られざる見どころや歴史について話し、NGも出したし、ロケバスというものにも乗ったし、とにかくいい経験だった、とのことです。この回のコンセプトは、GW前に有名な観光スポットの知られざる見どころや歴史を紹介するというもので、伊勢・鎌倉・富士山の3箇所を取り上げるのだそうです。

出演のきっかけは、坂井さんの著書『源頼朝と鎌倉』(吉川弘文館)にNHKのプロデューサーが注目したことだそうですが、この本はコンパクトながらよくまとまっていて、楽しい本です。

3月3日のロケなら、梅がやっと咲いているかどうかでしょうね。鎌倉は、色とりどりの木の芽が出る頃から新緑にかけての時季が美しい。禅寺が多いせいか椿のみごとさにも驚きます。

45年前、高校の遠足は鎌倉の六国峠縦走でしたが、昼の弁当も立ったまま食べるようなハードなもので、爾来鎌倉は健脚向き、と敬遠しがちになってしまいました。

それでも家族や友人と何度も行き、初夏の鎌倉文学館の薔薇、萩の咲く常永寺で振る舞われたぼたもち、真夏にゼミの学生を連れて行った永福寺発掘現場など、それぞれに同伴者の記憶と共に思い出します。

後期軍記

山上登志美さんの「八上城落城と本能寺の変―光秀「怨恨説」をめぐってー」(甲南國文64)という論文を読みました。明智光秀がなぜ信長を暗殺したのか、従来信じられてきた丹波国八上城攻めにまつわる「怨恨説」を検証しています。八上城攻めを扱った軍記『信長公記』『信長記』や、敗れた波多野側の『高城記』『籾井家日記』『丹波興廃略記』、さらに近世の『太閤真顕記』異本、『総見記』などをも比較対照しながら、諸資料の先行関係を推定し、本能寺の変の「光秀怨恨説」の成長過程を跡づけています。分かりやすくて、面白い。私たちが何となく信じ込んでいる「歴史秘話」が、じつはある動機によって脚色され、大衆的なメディア(芸能や読み物)によって広められたものであったことを知らされます。矢部健太郎さんが関白秀次の死について、同様の提案をして話題になったのも(『関白秀次の切腹』KADOKAWA)、記憶に新しいところです。

なお本誌は、後期軍記の研究をライフワークにしていた松林靖明さんの追悼号です。後期軍記は実録的で地域性が強く、数が多い(しかも異名同本が多い)ため、研究が遅れていた分野です。しかし平家物語や保元平治物語とは異なる、軍記物語の成立動機や文芸的方法のあり方についての重要な情報を抱え込んでいる、宝の山でもあります。梶原正昭―松林靖明と承け継がれてきた研究の後継者が立派に育っていることに、松林さんも満足されているのではないでしょうか。

春のエネルギー

野菜の、立派な不要部分をどうするか―何だか可哀想で捨てられない。セロリの大きな葉や枝は、煮込み料理のブーケにもしますが、刻んで炒め、醤油と少量の甘味(味醂か砂糖)と唐辛子で味付けすると、白飯にも酒肴にも合う一皿になります。油揚げか竹輪または蒲鉾を千切りにして一緒に炒めれば、もう少し格上のおかずに。ラディシュの葉でも代用できます。こちらはセロリほど香りがきつくないので、削り節と醤油だけで胡麻油で炒めても可。

ブロッコリーの茎は茹でて醤油漬にします(一昼夜で食べられますが、ゆっくり漬けたければ酒で薄めます)。その後の醤油には蕪、胡瓜、長芋などを漬けます(だんだん野菜から水が出ますが、2~3回は漬けられます)。今日は山独活を漬けてみました。

山独活の頭は天麩羅にすると美味しいそうですが、我が家は揚げ物を避けているので、芯(剛毛のない部分)は刻んでスープの浮き実にしました。広がり始めた葉は、活けると案外面白い形になります。ただ、もともと山野の植物なので、花屋の華麗な切り花には合いません。我が家では今、ジャムの小瓶に、路傍で摘んできたホトケノザと一緒に入れて、置いてあります。春のエネルギーが集結した一角になりました。

それでも生きていく

渡部泰明さんの『中世和歌史論 様式と方法』(岩波書店)という本が出ました。前著『中世和歌の生成』(若草書房)が藤原俊成中心だったのに比べ、書名通り、古代和歌から中世和歌へ、西行・定家・実朝の作歌方法、そして芸能や連歌への展開をも視野に入れて論じています。鍵語は「縁語的思考」。「あらかじめ言葉の意味・イメージの総和を胸底に秘め、そこから言葉の縁によって自在に引き出す」言葉の使い方を縁語的思考と名づけ、そこに焦点を定めて中世和歌の創作過程を説き明かそうというのです。

重要な素材をあえて表現しないのが定家固有の方法であるとの指摘も、すでに言われていることではありますが、印象に残りました。あとがきにある「和歌はなぜ続いたのか」という問いは、最近の和歌文学界共通の命題なのかもしれませんが、答えは複数語られていいものだと思います。

またあとがきからは、痛切な衝撃、人生の痛手を負ったとき、文学によって「それでも生きていく」という力を与えられた体験がほのめかされ、私個人の体験からもつよく共感できるものでした(このテーマについては、今年1月の東京学芸大学におけるシンポジウムで、すこしお話ししました)。

石榴

石榴の新芽が出始めました。貰った実の種子を一粒播いて育てた石榴です。花も楽しめますが、この時季の赤い芽吹きが美しい。

小学校の時、国語の教科書に「一夜のこがらしに、ざくろの葉は散りつくした。」で始まる文章が載っていて、授業で指名されて音読したことを憶えています。おかっぱ頭の女の子が硝子戸を覗いている後ろ姿の挿絵があったので、ずっとそういう主人公だと思い込んでいました。じつは川端康成の「山の音」の出だしであったことを知ったのは、大人になってその小説を通読し、こういう内容だったのか!と驚いた時です。

しかし、幼時の刷り込みは怖ろしいもので、未だに、もう一つの「一夜のこがらしに・・・」で始まる、寂しげな少女を主人公にした作品があるような気がしてなりません。教科書の功罪、と言っては大げさでしょうが。