後期軍記

山上登志美さんの「八上城落城と本能寺の変―光秀「怨恨説」をめぐってー」(甲南國文64)という論文を読みました。明智光秀がなぜ信長を暗殺したのか、従来信じられてきた丹波国八上城攻めにまつわる「怨恨説」を検証しています。八上城攻めを扱った軍記『信長公記』『信長記』や、敗れた波多野側の『高城記』『籾井家日記』『丹波興廃略記』、さらに近世の『太閤真顕記』異本、『総見記』などをも比較対照しながら、諸資料の先行関係を推定し、本能寺の変の「光秀怨恨説」の成長過程を跡づけています。分かりやすくて、面白い。私たちが何となく信じ込んでいる「歴史秘話」が、じつはある動機によって脚色され、大衆的なメディア(芸能や読み物)によって広められたものであったことを知らされます。矢部健太郎さんが関白秀次の死について、同様の提案をして話題になったのも(『関白秀次の切腹』KADOKAWA)、記憶に新しいところです。

なお本誌は、後期軍記の研究をライフワークにしていた松林靖明さんの追悼号です。後期軍記は実録的で地域性が強く、数が多い(しかも異名同本が多い)ため、研究が遅れていた分野です。しかし平家物語や保元平治物語とは異なる、軍記物語の成立動機や文芸的方法のあり方についての重要な情報を抱え込んでいる、宝の山でもあります。梶原正昭―松林靖明と承け継がれてきた研究の後継者が立派に育っていることに、松林さんも満足されているのではないでしょうか。