近世寺社伝資料

『近世寺社伝資料『和州寺社記』・『伽藍開基記』』(和泉書院)が出ました。近世初期に成立した、大和及び畿内諸国の寺社縁起集成2本を翻刻し、解説を付した本です。永く地道な活動を続けて来た神戸説話研究会の活動成果ですが、こういう出入り自由な研究会は、支える若手中堅と共に、核となる「おとな」がいることが重要なのです。名古屋の故島津忠夫さん、そして神戸の池上洵一さんがそうでした。もう若手とは言えないのでしょうが、内田澪子さんや本井牧子さんらが熱心に活動を支えてきたようです。

『和州寺社記』には森田貴之さんの解題があり、縁起集から名所記・地誌へと変貌していく作品であることが分かります。リライトや取り込み・吸収による創作を経て多くの類似作品が流布していくのは、近世文化の特徴でもあります。

『伽藍開基記』には山崎淳さんの解題があって、人物中心の僧伝のかたちを採りながら『元亨釈書』の影響下に、地域ごとの日本仏教史を目指そうとしたのではないかと述べられています。

資料として有益なものですが、願わくは解題中の地名・寺社名・人名など固有名詞に、できる範囲で振り仮名をつけて欲しかったなあ。

確定申告

税務署へ確定申告書の検算・提出に行きました。往きには初めて近距離タクシーに乗ってみました。タクシーに乗る度に、料金制度の改訂後利用者の流れが変わったか、アンケートしてみるのですが、毎度「いやあ、変わらないねえ」という返事です。2km以内でタクシーに乗るのは何か事情がある時で、6km以上の利用者にとっては結局値上げでしょう。知人に、値上げするのなら上げると言って欲しい、朝三暮四みたいな話は御免だと言ったら、高速道路料金でも似たような改訂があったとのこと。油断のならない御時世です。

帰路はとぼとぼ歩いて帰りました。現職中は、確定申告の帰りにはちょっと豪華な昼食を摂ることにしていたの(税金を払うためだけに働いてきたような気がして、腹立たしいから)ですが、もう所得も税も還付金もすべて規模が小さくなったので、ルオーに入り、小さなケーキと珈琲をゆっくり味わって帰りました。

税務署の入り口には「電子政府実現のため電子申告をお奨めしています」という看板が出ていましたが、賛同する気になれません。電子政府?ヘンな日本語です。今でさえ常識外れの土地払い下げなどが行われているのに、この上電子化したら、私達の肉声を聴くことができるでしょうか・・・

源平の人々に出会う旅 第3回「京都市伏見・城南離宮」

 鹿ヶ谷の変以後、反平家の動きが活発になると、清盛は福原(神戸市)から軍勢を率いて上洛し、太政大臣以下40余人を解官、関白藤原基房を備前へ配流、後白河法皇を鳥羽殿(城南の離宮)へ幽閉します(治承三年(1179)の政変)。

【城南宮】
 鳥羽殿は白河・鳥羽両上皇により造営・増築され、南殿・北殿・東殿・泉殿・馬場殿・田中殿などと名付けられた御所からなる広大な離宮です。
 院政期は熊野詣が盛んとなり、白河・鳥羽・後白河上皇も度重なる御幸を行っています。馬場殿付近にある城南宮の境内には「熊野詣出立の地」の案内板があり、ここから船で熊野に向かったようです。

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【成菩提院塚陵墓参考地】
 大治4年(1129)、白河法皇崩御すると東殿付近の成菩提院陵に葬られました。近くには成菩提院塚陵墓参考地がありますが、誰の陵墓か分からないようです。
 保元元年(1156)6月、鳥羽法皇が危篤に陥ると、寵妃であった美福門院藤原得子は成菩提院の御所で出家したと『保元物語』に記されています。

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【安楽寿院】
 安楽寿院は鳥羽上皇が東殿に建てた御堂を前身としており、鳥羽天皇陵や近衛天皇陵が隣接しています。保元の乱で讃岐へ流された崇徳院が、自筆で書いた五部の大乗経を安楽寿院の故院の御墓に置いてほしいと懇願するも叶わず、「この経を魔道に廻向して、魔縁と成って遺恨を散ぜん」と自らの血で誓状を記し、生きながら天狗になったとされます(古活字本『保元物語』)。そのため、清盛のクーデターや後白河法皇の鳥羽殿幽閉は、崇徳院の怨霊の仕業と考えられたのです。

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【冠石】
 鳥羽上皇離宮の増築を行う際、この石に冠を置いたと伝わっています。鳥羽天皇陵の近くにあります。

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〈交通〉地下鉄烏丸線近鉄京都線竹田駅下車
                 (伊藤悦子)

春霞

東京の春は午後から曇る、という書き出しで作文を書いてひどい点を貰ったことがあります。高校時代、英語の教科書で教わった「意識の流れ」という手法を試みた心算だったのですが、国語教師からは趣旨不明瞭な文章との批評を頂戴しました。今でもこの季節には、あの一文を思い出します。

朝は晴れていたのにいつの間にか薄曇りのような空になるのが、この季節特有の天候ではないでしょうか。晴天なら朝から夜まで雲一つ無い青空、という日々が3ヶ月続いた東京で、そろそろ春の訪れを感じる兆候の一つです。鳥取に勤めていた頃、春休みに入って帰京する際に羽田まで本土を縦断すると、霞の中から日本アルプスの山頂が頭を覗かせ、水墨画そっくりでした。飛行機もない時代にどうしてこの景色を想い描くことが出来たのだろう、と不思議な気持ちになりました。和歌の世界でしきりに春霞が詠まれる理由が、納得できる気がします。

最近の天気予報では、花粉が飛んでいると説明するようですが・・・

雛をしまう

雛人形をしまいました。

草の戸も住み替はる代ぞひなの家

とは、芭蕉奥の細道の旅に出るために庵を引き払った際の発句ですが、以前は単なる挨拶の句だとしか理解できていませんでした。この頃になって、その感慨が身にしみる気がします。

家の住人が代わり、世も変わる・・・この町に住み始めて13年、表通りを歩くと、古くからの通りなのに空き店舗が増え、シャッター商店街という語が頭をよぎります(借地なので地代更新の度に辞退者が増えるのだそうです)。この間花屋は3軒、本屋も2軒閉めました。開いている店も品揃えが少なくなったり、店主が高齢化して元気のいいかけ声が聞かれなくなったり、政府の経済数値発表とは無関係に、街が冷え切っていくような気がするのです。大型量販店へ車で買い出しに行くか、通販で取り寄せるかという生活スタイルが主流になりつつあるのでしょうか。

古い家が取り壊されると、必ずと言っていいほど土地は2~3戸に分割され、桜の木は伐られ木犀の生垣もなくなっていきます。やがて歳月が経てば、そこにも人々の思い出が積もり、幼年期を過ごした家の物語ができるのかもしれません。

 

 

発表要旨

3月19日の明翔会第2回研究報告会の発表要旨です。たいへん広範囲な分野にわたる報告会なので、どれか関心のある部会だけでも参加して頂ければ幸いです。会場は駿河台記念館(千代田区神田駿河台3-11-5)。

 

■第一部会 美学・美術史■ 9:10―11:20

 

◆発表1◆  大城 さゆり

『島の女』から『紅型の女』へ

ゴーギャンのイメージを基にした大城皓也の女性像に関する一考―

沖縄で二科会員として活躍した洋画家、大城皓也が制作した『島の女』(1943年)は、唯一現存が確認される大城の戦前の作品である。そのモチーフや描き方から、明らかにポール・ゴーギャンの作品を基にしていると言える。さらにこの『島の女』の女性像は、大城が戦後に描いた『紅型の女』(1955年)に発展した。そこに描かれている紅型を纏った半裸の女性像は、戦前に描かれていた「南洋の女性のイメージ」と類似するのである。

今回は、ゴーギャンの影響を受けた「南洋の女性イメージ」が「沖縄の女性イメージ」に転化される過程を検討し、他者からみた南のイメージを受容して沖縄の女性像を描くことが意味することを考察し、発表する。

◆発表2◆  森 結

ルカ・シニョレッリにおけるグロテスク装飾の創出

―オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂から《フィリッピーニ祭壇画》まで―

イタリア・ルネサンスの画家ルカ・シニョレッリは、当時復興しつつあった、グロテスク装飾(十五世紀末における皇帝ネロの宮殿、ドムス・アウレアの発掘とその内部装飾の発見を経て、当時の画家たちに普及した動物、幻獣、植物等が混交した文様)をいち早く導入した画家の一人に数えられる。しかしながらその装飾の語彙に深く分け入る研究はこれまで見受けられなかった。そこで本発表ではシニョレッリに不朽の名声を与えたオルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂の壁画装飾、そして後年の作品である《フィリッピーニ祭壇画》に描かれたグロテスク装飾を例にとり、画家が本来のドムス・アウレアのグロテスク装飾に倣いつつも、同年代の画家の装飾の語彙をも導入し、装飾という場にも創造性を見出しながら、装飾の図案を創出していった過程に光を当てたい。 

◆発表3◆  成田 愛恵

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー作《ノクターン 青と銀色:チェルシー》におけるジャポニスム研究の現状

19世紀後半にイギリスで活躍したアメリカ出身の画家ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(James McNeill Whistler 1834-1903年)はレアリスム、ジャポニスム、ラファエル前派、ギリシア趣味、唯美主義といった同時代の様々な芸術動向に触れ合い吸収することで独自の芸術を作り上げていきました。なかでも1850年代後半から、万国博覧会を機に西欧諸国に広がったジャポニスムは、ホイッスラーの芸術形成において大きな役割を果たしたと発表者は考えています。そこで彼のキャリアの中間に位置する1871年作の《ノクターン 青と銀色:チェルシー》におけるジャポニスム研究の現状を概観し、彼と19世紀イギリス芸術のジャポニスムについての研究報告といたします。 

◆発表4◆  龍 真未

ヴァランシエンヌ黙示録》の造形原理 ——モティーフの反復表現を通じて——

ヴァランシエンヌ黙示録》(ヴァランシエンヌ、市立図書館 Ms. 99、9世紀第1四半期)は、造形的変遷の道筋においてノーサンブリアを経たと推察される黙示録写本である。主要モティーフのみを採用し副次的要素を省くという挿絵の造形的特徴は、姉妹写本《パリ黙示録》(パリ、国立図書館Ms. nouv. acq. lat. 1132、10世紀初頭)以外には、本作品とほぼ同時期に制作された《トリーア黙示録》(トリーア、市立図書館 Ms. 31)のみならず、後代においても見られない。本報告では、天使像の反復表現と巧みなレイアウト構成が特に際立つ「七つのラッパ」を主題とした一連の挿絵(fol. 16r, 17r, 18r, 19r, 22r)を中心に、神学的背景を踏まえた図像解釈を試みながら造形的構築の規則性を探る。

 

■第二部会 宗教・教育学■ 13:00-14:20

 

◆発表5◆  小坂井 理加

中世後期ブルターニュにおける巡礼と地域社会 ―「ブルターニュの七聖人の巡礼」を中心に―

巡礼は、西洋中世社会において聖人崇敬の発展と共に多様な階層に浸透していた。人の流れは経済的な利益を各地にもたらし、地域の人々は聖地を中心として社会的活動を行う。聖と俗の交差する現象として巡礼は、当時の人々の心性や社会像を読み解く鍵となる。

本研究では、とりわけ土着の聖人への信仰の篤かったブルターニュ公国において公領全体に散らばる聖地を結び付けた「ブルターニュの七聖人の巡礼」を手掛かりに、一義的な宗教的側面に加えその社会・経済的機能、ブルターニュ継承戦争やフランスへの併合など歴史的な転換点にあった14−5世紀ブルターニュの政治的背景といった多角的な視点から巡礼の果たした役割について考察することを目的とする。 

◆発表6◆  藤井 明

異宗教間の混交のシステム―仏教ヒンドゥー教を中心に―

異宗教間の融和の糸口を探るために、近似する内容を備えるヒンドゥー教版と仏教版の両版が存在するBhūtaḍāmaramahātantrarājaあるいはBhūtaḍāmaratantra内の発話者に着目し、両宗教間の関わりを見ていく。また、密教的修法の中に見ることの出来る殺を伴う「降伏」という行為が、異宗教を聖化し、巧みに混交していくための「混交のシステム」の役割を果たしていることを述べる。更に、この行為がいかに仏教的に合理化されているかを考察する。これらは「異宗教間の混交のシステム」を考察する上での材料となるであろう。 

◆発表7◆  秋吉 和紀

古典教材を用いたジェンダー教育の実践

高校生の学校生活の中での発言を注意深く聞き取ると、ジェンダーに関わる不用意な発言が多いことに気がつく。そこで、単元の目標を以下の二つとし、国語の実践を行った。その目標とは、①普段は意識されることのない「ジェンダー」を学習者に意識づけることに、また、②社会の中でみてとれるジェンダー規範が、またそうしたジェンダー規範を主体化した自身の中にあるジェンダー感覚がいきすぎている場合には、学習者がそれを「調整」できるようになることである。本発表は、この目標をもとに、古典教材を軸として行った授業をまとめたものである。

 

■第三部会 文学・史学■ 14:40-16:00

 

◆発表8◆  木下 佳奈

黄春明の作品における、日本統治期から続く台湾社会の表れと人々

黄春明(1935~)は1960年代から近年まで中短編作品を発表してきた、台湾本省人作家である。その作品の多くは現代化が進む農村や都市の中低層に生きる庶民を描いており、往々にして、登場人物たちの生き方を通じて過去から現代までの台湾社会の様相を映し出している。

本発表では黄春明の作品に表された、台湾社会における日本統治期との繋がりを「記憶」、「体験」、「言語」という3つの観点から取り上げ、その中で生きる多様な登場人物たちに焦点を当てる。主として日本統治期と関連した作品から、台湾における日本統治時代の記憶を台湾の民衆はどう受け止めているのか、そして、黄春明がその記憶と民衆の感情を、作品を通じてどのように表現しているのかを考察してゆく。 

◆発表9◆  村田 岳

南宋末の科挙政策―咸淳六年の士籍作成について―

国史上に於いて宋代(960年~1279年)はそれまでの 層に代わり、 興階 である士人層が力を持った時代とされ、この士人層はその性質を幾分か 変化はさ ながらも、明清期(14世紀~20世紀)を えて民国期にまで地域社会の代表者という地位を 持した。そしてその士人層の発生と成 に大きな影響を及ぼしたのが 採用試験である科挙である。かかる 要性に基づき、宋代科挙研究は多くの成果を できたが、科挙が中 していた元代をどう考えるのか、という 題は未 検討の 地が残されている。本報告ではかかる 題意識に基づき、南宋最末期に於ける士籍作成という史料を分析することで、当 例を科挙社会史上に位置づけることを試みる。 

◆発表10◆  安藤 香織

民衆学校教員と「ドイツ帝国」: プロイセン師範学校教員ケラー

1871年1月、敵国フランスのベルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立が宣言され、「ドイツ国民」の悲願であった「ドイツ」統一が達成された。プロイセン王国バイエルン王国といった22邦国と3自由都市から成るドイツ帝国は、外交上の権限を構成国より委ねられていた一方、内政 題については統一前と変わらずに各邦の主権を認めていた。中でも教育行政は地域色が強かったため、各領邦・地域における教育史研究は多くあっても帝国全体を概観するものはあまりない。本報告では第二帝政期のプロイセン文部省と帝国政府とのやり取りに焦点を当て、帝国と国、国と州といった多層的な行政範囲における学校のあり様と帝国における教育政策の意義を明らかにする。

 

◆ 記念講演◆ 宮村りさ子(東京成徳大学専任講師) 16:10-16:40

グループを対象にした子育て支援プログラム

 

明日へ翔ぶ

人文系大学院生の論文19本を収めた論文集『明日へ翔ぶ―人文社会学の新視点―』第4集ができあがりました。全458頁。主な内容は以下の通りです。お問い合わせは風間書房(電話03-3291-5729)まで。

 

 口絵(松尾金藏)「武漢の風景」、「卓上静物」

『明日へ翔ぶ』発刊を祝う(高山英勝) 

ルカ・シニョレッリ作《フィリッピーニ祭壇画》の聖ボナヴェントゥーラ像をめぐる

考察(森  結)

牛島憲之と二人の画家―坂本繁二郎、ジョルジュ・スーラに通底するもの―(荻野絢 

美)

写真のリアリティ再考―観賞における時間意識「今」の点から―(江本紫織)

パリのヴィラ=ロボス―『ショーロス』から『ブラジル風バッハ』へ―(木許裕介)

ジャン・アヌイ『アンチゴーヌ』における二つの喪の変奏(大谷理奈)

ビルダングスロマン(“Bildungsroman”)としてのアメリカマイノリティ文学―サンドラ・シスネロスの『マンゴー通りの家』とエドウィッジ・ダンティカの『息吹、まなざし、記憶』―(仲本佳乃)

初出漢字筆記過程からみた子どもの書字習得の発達―「なぞり」と「視写」の比較による―(尾上裟智)

特別支援学校における音楽アウトリーチ導入の意義と課題(市川友佳子)

当事者研究」の教育方法学的意義に関する研究(小山美香)

高等学校国語科における表現力を育む授業づくり(土井康司)

形態隣接語の意味活性化効果は語長によって規定されるか(吉原将大)

ウイルタ語における与格を伴う形動詞句の機能について(森貝聡恵)

戦後日本における病床供給の構造(高間沙織)

地域住民による在地資源を活かした農村開発―東北タイ農村における換金作物としての野菜作りを事例に―(高良大輔)

会津恵日寺と徳一菩薩(永山由里絵)

近世日朝関係における倭館統制に関する一考察(小堀槙子)

幕末福岡藩における刑事内済の一事例(仲村慎太郎)

近世における伊勢商人の家族に関する研究―三井家を事例としてー(太田未紗)

年官制度の展開―中央と地方の連関―(手嶋大侑) 

基金に提出された研究成果報告書

跋(松尾葦江)

執筆者一覧

公益信託 松尾金藏記念奨学基金の概要