源平の人々に出会う旅 第25回「備中・妹尾最期」

 寿永2年(1183)閏10月、水島の大敗を聞いた義仲は、倉光三郎を備中へ先行させますが、倉光は同行した妹尾太郎兼康(北陸合戦で捕虜となっていた)に討たれてしまいます。

【妙善寺(福隆寺・福輪寺)】
 『源平盛衰記』では、兼康は平家に合流するため、福輪寺阡(覚一本は福隆寺縄手)を封鎖し、佐々迫(ささのせまり)に兵を置いて、子息兼通・郎等宗俊と共に板倉城へ向かいます。しかし、義仲の行動が早く、佐々迫は攻め落とされてしまいます。福隆寺は現在の妙善寺、佐々迫は篠ヶ瀬川付近と考えられています。

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【鷺の森】
 兼康父子は自刃、宗俊は太刀を口に含み馬から飛び降りて自害します。義仲は、兼康の首を鷺の森に掛けます。「鷺の森」は首掛けの森とも呼ばれ、鷺の森公園にその名が見られます。付近には兼康を祀る太郎荒神もあります。

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【妹尾太郎兼康の墓】
 吉備津神社の近くにある兼康墓は、兼康の家臣の建立とされています。岡山県内には伝兼康墓が何箇所もあります。兼康は、灌漑用水の整備(湛井十二箇郷用水)を行った人物として伝わっており、その功績が讃えられているのでしょう。

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吉備津神社
 吉備津神社は、他に類を見ない比翼入母屋造の様式を持つ備中国一宮です。鬼退治伝説や『雨月物語』「吉備津の釜」の舞台としても知られ、『曽我物語』には、吉備津宮の王藤内が登場します。『源平盛衰記』では、平重盛の夢に、頼朝の祈申納受により吉備津宮が清盛を討ったとしています。また、背後に位置する吉備の中山は、鹿ヶ谷事件で配流された藤原成親が殺害された場所です。

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〈交通〉
JR山陽本線岡山駅・JR吉備線吉備津駅
             (伊藤悦子)