2017-11-02から1日間の記事一覧

源平の人々に出会う旅 第11回「奈良市・奈良炎上」

治承4年(1180年)12月、清盛は敵対する南都の大衆(奈良の僧侶)を抑えるため、重衡を派遣し南都を焼討ちしてしまいます。『源平盛衰記』には興福寺・東大寺の伽藍の由来がより詳細に記されています。 【猿沢の池】 最初に鎮圧のため派遣された妹尾兼康は、…