さらば青春

高校生から大学生時代に弾いていたギターを売りました。クラシックギターの先生に、一生使える物をと見立てて貰った1本です(当時の大学出初任給の、3分の1くらいの値でした)。54年前の製作者の名前も入っていたのですが、買い取り業者からは、ばらして部品を取るだけと言われて悲しくなり、一瞬ためらいました。しかし、練習をし直してこれを弾く生活は、もうできそうにありません(ツンドクの山だけでも半世紀分はある)。あの当時は指頭に縫針を突き立てても刺さらないくらい練習し、「禁じられた遊び」のテーマや「入り江のざわめき」なども弾きました。低音絃のやわらかく跳ね返る感触が思い出されてきます。

これで親の家の整理はほぼ終わりました。私自身の20代までの蔵書や趣味の品も一緒に処分したので、何だか虚ろな疲労感が溜まり、つまらぬ怪我をしたり失くし物をしたりしています。断捨離は精神的にも負担が大きい。

空っぽになった実家から戻ってくると我が家は紙の山。今後何年かかってこれを快適空間に変えることができるか、あまり時間は残っていない、などとさらに悲観的になってしまいます。

街は五月祭でうきうきと賑わう一日でした。買取契約書には「ギター(アンティーク)1本 ¥1000」と記されていました。

薔薇仕事

ベランダの鉢植えの薔薇が開き始めました。還暦になった年に従妹からお祝いに貰った鉢です。毎年5月に大輪の赤い花を、夏には小さな濃いピンクの花を、そして冬に入る前にも赤い花をつけます。専門家は冬の蕾は剪り落としてしまうようですが、薔薇を愛し、その棘の傷が原因で亡くなった詩人リルケの命日が12月29日なので、我が家では1年最後の花を「リルケの薔薇」と呼んで、大切にしています。

近所にはこの品種を蔓薔薇仕立てにして2階まで這わせている家が2軒あり、この時季にはそれとなく見物に出かけます。

5月の花はふっくらとした大輪なので、散る前に切り花にして仏壇に上げ、散った花びらをお盆に広げて陰干しし、ポプリを作ります。毎日咲いていくのでけっこう忙しい。梅の実の季節に家庭で干したり漬けたりすることを、梅仕事というそうですが、我が家のこれは「薔薇仕事」。ジャスミンの花やローズマリースペアミントランタナなどの葉を混ぜることもあり、ローズオイルを1.2滴垂らし、ジャムの空瓶に詰めて、私的な初対面の人には名刺代わりに差し上げています。

保育者養成史

永井優美さんから自己紹介の原稿が来ました。原稿は履歴書みたいに書いてあるので、読者にわかりやすいよう、以下、一部書き直して掲載します。

永井(旧姓田中)さんは東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科 (博士課程)在学中に松尾金蔵記念奨学基金を受け、2013年に同課程を修了しました。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現在は東京成徳短期大学幼児教育科准教授です。2016 年に『近代日本保育者養成史の研究―キリスト教系保姆養成機関を中心に―』を風間書房より刊行しました。保育者の専門性について歴史的視点から検討し、当時の宣教師たちが保育者養成に果たした役割を明らかにした本です。

この頃は大正新教育期の教育実践に関する史的研究を中心に行いながら(『大正新教育の思想―生命の躍動―』2015年、東信堂、共著)、幼少年教育研究所言語部会にも所属し、より広い視点からの保育および保育者養成に関する研究をめざしているそうです。現在、日本保育学会、日本乳幼児教育学会、幼児教育史学会、日本カリキュラム学会、アメリカ教育学会、日本教育史学会、教育史学会、日本教育学会にも会員として参加し、研究活動を行っているとのことでした。

まったく偶然ですが、同じ大学に宮村りささんも勤めていて、この基金の同窓生同士が同僚になりました。勤務先では国語表現法も担当することになり、何を教えるか悩んでいましたが、大人が幼児語を使って話しかけることの是非を含めて、異なる世代間の会話方法も「国語表現法」のテーマになるのでは、というヒントについて話をしました。

長門切からわかること

國學院雑誌5月号が出ました。拙稿「長門切からわかること―平家物語成立論・諸本論の新展開―」が出ています。昨年7月に投稿するはずだったのですが、諸般の事情で今月号になりました。

新出の長門切(「敦盛最期」2葉、「宇治合戦」2葉、「横田河原合戦」1葉、未詳1葉、それに仁平道明氏が「墨俣合戦」の部分とされている1葉など)を紹介し、それらがいずれも現存諸本では源平盛衰記に近い本文であることを検証しました。その上で場面同定の難しさ、書写の特異性、截断以前の底本に関する憶測など、長門切を資料として扱う際の留意点を論じ、平家物語諸本の流動過程との関わりに踏み込んでみました。

古筆切の年代判定に困難がつきまとうことは周知の事実ですが、長門切に注目することによってわかるのは、源平盛衰記的本文もまた比較的はやくから存在していたという可能性、それによって平家物語本文流動の大枠を見直す必要が生じるということです。延慶本一辺倒で進んできた近年の平家物語古態研究に対して、それだけで成立論・諸本論は完結しない、むしろ新たな問題が展開してくることを知らされるのです。

抜刷は次回の軍記・語り物研究会、関西軍記物語研究会、7月29日に予定されている資源セミナーなどでお配りします。國學院雑誌についてのお問い合わせは、國學院大学広報課03-5466-0130まで(誌代は1冊¥210)。

訂正とお詫び:

同誌38頁上段4行目に誤記があります。

【誤】界高17.0,字高16.8センチ→【正】界高7.0,字高6.8センチ

所蔵者の高城弘一先生にお詫びを申し上げます。なお後半の切は損傷部分を裁ち落とした痕があり、本紙の縦の寸法は、現状では2葉一致しません。

組織の能力

このところ、親の家を整理しているので、異なる業種の人たち、チームや組織の仕事ぶりをウオッチングする機会が多い。経験則ですが、顧客に要求することの多い組織は必ずと言っていいほどミスをする。有名な企業であっても個人がいい加減な対応をするところは、遠くないうちに必ず不祥事がある(かつてのリクルート然り、日経新聞然り、でした。但し、老舗では窓口がひどくても現場はきちんと仕事していることが多い。これが老舗の底力というか、余韻でしょう)。大事な仕事を頼む時は、この経験則を参照してやるしかありません。

ある大手の宅配・運送業はこのところ、仕事が多すぎてたいへん、という評判に甘えたと思います。美術品専門の運送を頼んだ際、電話受付と見積もりに来た営業マンの態度に呆れましたが、実際に来た作業員たちの手際はみごとでした。同じ会社の宅配受付の態度が論外だった時は、形見分けで送った壁掛けを真っ二つに折られてしまい、しかもお詫びが来るまでに信じがたいほど手間がかかりました。「魔女の宅急便」時代の信頼がはたして戻るかどうか、正念場に来ていることを経営陣は解っているでしょうか。

今回頼んだ大手の不動産屋は初めて依頼した会社ですが、2人態勢で1案件を受け持ち、2人の組み合わせが絶妙でした。相互監視と共に若手育成の態勢を取っているのだと思います。50代で笑窪のできるリーダーと、真面目一筋(に見える)20代の組み合わせ。顧客の話をよく聴いており、調べ物が十分に出来ていて、仕事に無駄がない。そして、若い内に補佐役を経験させることは、一流の男を育てるのにぜったい必要なカリキュラムです。組織がよく機能している会社であることが判ります。

いま欲しい平家物語論とは

「リポート笠間」62号ができあがり、まもなく発送されます。国文学関係の学会会場でも配布されますが、はやく読みたい方は直接笠間書院へご注文下さい。

特集1は「いま全力で取り組むべきことは何か」、特集2は「デジタル化で未来をどう創るか」ですが、どちらにも共通するのは、いかに国文学研究や資料探索の情報をひろく公開していくかという視点です。

巻頭に松尾葦江「いま欲しい平家物語論とはー自身への問いを携帯すること」を置いてありますが、我ながらアナログな筆致で肩身が狭い。しかし本意はまさしく「いま取り組むべきこと」を、言挙げした所存です。関連する文章を、この秋、単行本と雑誌とにそれぞれ出しますので、併せて御一見下さい。

ちょうど和泉書院の「いずみ通信」43号も出ました。両誌を見ていると、水準も高く有益(そう)な国文学関係の新刊がぎっしり並び、各地に研究会や学会誌があって、国文学が斜陽産業だとはとうてい思えないのですが・・・

何が足りないのか、殊に発信の宛先や範囲について、関係する者たちそれぞれの持ち場に戻って考える必要があるのかも知れません。

もより会

学部時代の母校の同窓会文京区支部の集まりがあったので、出てみました。昨年から始まったもより会(同窓会の中の地区ごとの会)です。昨年は十数人だったので、テミルのお菓子を30粒持参して宣伝しようとしたら、今年は40人以上の出席で、足りませんでした。

90代から20代まで、理系文系を問わず、文京区在住の女性たちですが、皆さんそれぞれに社会参加の話をされました。東洋医学の普及活動、猫の保護運動、放課後の子どもの居場所提供、町内会の民主化点訳奉仕等々。私は育英事業の派生としてテミル・プロジェクトの話をして、障害者のQWLについて共鳴して頂きました。

思いがけず、同じマンションに住む若い方が同窓であることも知りました。賑やかな交歓の場から冷たい雨の降りしきる街へ出て、活力を貰ったと共に、何だか圧倒された疲労感も感じました。