信濃便り・薔薇の家篇

「もしも私が家を建てたなら」、という歌が流行ったことがありました。その家であの人と一緒に暮らしたい、というのが主旨なのですが、庭に植えたい花が「真赤なバラと白いパンジー」と続くので、私は小馬鹿にしました。あまりに陳腐だから。

兼好法師も庭に植えたい草木を数え上げていますから、誰もが共に暮らす植物にはこだわりがあるでしょう。そしてそれぞれに理由もあるはずです。子供の頃は、薔薇のアーチを潜って入る家を夢みていました。名古屋での通勤途中に薔薇で蔽われた2階家があって、季節にはバスで前を通るのが楽しみでした。我が家の近辺にも紅薔薇が2階のバルコニーまで絡まって咲く家が2軒ありましたが、1軒は建て替えられてなくなりました。

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薔薇の家

長野の友人から写メールが来ました。塩尻にある弟さんの家で、お嫁さんは「緑の親指」(栽培上手を、英語ではこう呼ぶ)なのだそうです。東京はもう薔薇の季節を過ぎましたが、信濃国は今が盛り。

長ずるにつれて、私の「庭にありたき」花は変化し、働き盛りの頃は、香りのいいものを植えている家をゆかしく思いました。香りはその家だけの独占ではなく、通りすがりの人をも慰めるからです。梅、沈丁花、素馨花、梔子、木犀・・・それらの中いくつかは、今我が家でも育てています。鉢では育てられない、蔓性のものや大木になるもので欲しかったのは、凌霄花、木香薔薇、野薔薇、葡萄、楓ー数えるときりがありません。

門の代わりに薔薇のアーチを作るなら、真赤な薔薇でなく、白やピンクの淡い色がいい、と思っていました。大理石(アラバスタ)のようなグラデーションのある花弁で。

コロナの街・part4

晴れ上がった金曜日。1駅地下鉄に乗って、大手スーパーへ出かけることにしました。出がけに窓を閉めていたら、轟音と共に白い航跡を引いて戦闘機が上空を横切りました。今日、ブルーインパルスが東京上空を飛ぶことは知っていたのですが、てっきり東京五輪の予行演習だと思っていました。防衛庁発表によれば、医療関係者激励のためだそう。現場では空を見上げる余裕があったのかしら。

久々に(3ヶ月以上乗らなかった)地下鉄に乗ったので、券売機のパスモのチャージ設定が様変わりしていて、うろうろしました。スーパーでは、入り口に消毒液も置いてないし、カートや籠を拭いている様子もない。ただ、いつもは威勢よくかけ声をかけるスタッフが、今日は黙って配架作業をしています。

品揃えは以前と変わらないようですが、テイクアウト用のお惣菜が増え、自宅で菓子作りするための材料が増えて、食事用パンの種類は減っていました。今日の目的は、熱中症予防水用の塩漬桜花と、柚子果汁(近所のスーパーにはない)。いつもなら何か珍しい食材を物色するのですが、今日はさっと買ってさっと帰ることにしました。目についた範囲で、食生活に変化をもたらす品もー黒糖白胡麻のジャム(沖縄産)、かぼす果汁(大分産)、柚子果汁(徳島産)、ルッコララディッシュ・・・ふと、買い物をしながら、自分が倹約モードに入っていることに気がつきました。散発的に積み上げられるコロナ対策費の財源は、我々が出す以外にはありません。一段落すれば、○○税の名で、何十年かに亘って、天引きされるに違いないからです。

夕食用には鱧の湯引きと、キュロット・ラペ(人参サラダ)を買いました。青い小梅も1袋。帰宅してから砂糖を買い忘れたことに気づき、浸けるのは明日です。

後嵯峨院時代

木村尚志さんの「後嵯峨院時代の和歌」(https://kachosha.com/gunki2020052701/ 花鳥社HP)を読みました。後嵯峨院の時代(在位仁治3年1242ー没年文永9年1272)は政治の実権は武家に移りつつも一旦の平和が訪れ、宮廷を初めとする文化サロンでは、『風葉和歌集』が編まれたり、いわゆる擬古物語鎌倉物語と呼ばれる物語が創作され享受されたりしていた時代です。実生活の中でも貴族たちは、『源氏物語』を模倣したポーズをとったりして、去りゆく王朝時代の余香に浸っていました。『とはずがたり』には、そういう時代の余韻が、来たるべき南北朝への不安と共に満ちています。

木村さんは、後鳥羽・土御門・後嵯峨3代の御代に行われた2つの歌合をとりあげ、伝統を重んじる和歌の世界での継承と変化に対して、定家・為家ら御子左家の歌人たちがどう対応したかを論じています。歌論や判詞(歌合での批評)は難しそうで敬遠しがちですが、歌の実例と共に読めば現代の文芸批評のように理解できます。

私にとっては、『古今集』475貫之の歌に出てくる「吹く風の目に見ぬ」という詞を摂りこんだ土御門院土佐配流後の羈旅歌(『続古今集』942)が、この詞に本歌とは別の意味を与え、定家たちがそれに対して微妙な距離を保とうとしたことが、興味深く感じられました。和歌の内容は、しばしば多義的な解釈を許すのです。

木村さんは、『続古今集』には多様な姿の歌が採られていることに、もっと注目してよいと言っていますが、『続後撰集』(建長3年1251)、『続古今集』(文永2年1265)が編まれた時期こそ、『平家物語』が徐々に形を成して行っていた環境なのです。『新古今集』や『新勅撰集』でなくこれらの勅撰集から、その雰囲気を味わいたいと思って、何度も精読に挑戦したのですが、未だに自分の血肉にすることが出来ていません。

マスクの話

銀行の広報誌(非売品)に大西一成さんの「命と健康を守るマスクの話ーマスクは意味がない?マスク問題に思う」という一問一答が載っていました。3回連載の第1回目。大西さんは聖路加国際大学の准教授で、公衆衛生学が専門。『マスクの品格』(幻冬舎)というタイムリーな本を出しているそうですが、2019/11出版なので、COVID2019流行やアベノマスクに遭遇したのは偶々だったようです。

一問一答を要約すると、マスクは①衛生マスク(フィルター試験に合格したもの)②防塵マスク(粉体・液体の吸引を防ぐ)③防毒マスク(気体の吸引を防ぐ)の3種類があり、通常、マスクに期待される目的は、1空気中の異物を吸い込まない 2感染者が飛沫を飛散させない 3保湿・保温 があるが、COVID2019感染予防として期待される機能は主に、aウィルスがフィルターを通過しない(使い捨てマスクでは不可) b手などに付着したウィルスや飛沫が口・鼻に触れない c顔とマスクの隙間から飛沫が入らないことで、しかしマスクがフィットしていなければ効果は発揮されない、ということです。

アメリカではフィットテストを行って、漏れ率1%以下でないと規格に合格しないのだそうですが、日本にはその規格がない。①のマスクは着け方が正しければ漏れ率70~20%になるが、平均して80%の浮遊粒子がマスク内に入る(漏れる)のだそうです。②はすでに10年以上前から店頭販売されているそうですが、私たちは買う時にそこまで選んでいません(現状では選べません)。

大西さんは、調べたら鳥取大学医学部で博士号を取得していて、黄砂の研究をしていたらしく、マスクに詳しい理由を納得しました。なお検索していたら、東洋経済オンライン5/20の15:31更新の記事を発見。一読に値します。

新しい?

「新しい生活様式」という語には、拒否反応があります、殊に政府から言われるのは。公共放送のアナウンサーたちが、この語を使って燥ぐのを見ると腹が立つ。「新しい日常」の方が未だまし、new normalという言い方もそれなりに理解できます。要は、生活を維持しながらコロナ感染(及び重篤化)を避ける方策を日常化しようということであって、生活様式(それは文化だ)にまで口を出されるいわれはない、と思うのです。

早くもポスト・コロナの話題が出始めました。雇用や経済、「働き方改革」などの重要な要素が今後どうなるかが未だ分からないので、見通しは立ちませんが、多少なりとも望ましい方向はどっちだ、と考えておくことは必要でしょう。教育の現場でも、学会や博物館・美術館などでも、ITの進出がどこまで有益か、注目されます。単にメディアが変わる、というのでなく文化の発信・受信に関して、その表現方法が大きく変質せざるを得ないのでは。

いまへとへとになりながらオンライン授業に直面している皆さんは(教師も教わる側も)、コミュニケーションの歴史の変わり目を創っている、と考えて下さい。なるたけデメリットを少なくし、民主的で創造的な意思疎通の条件を発見し、定着させて下さい。ITの世界では、さまざまな試みがなされているようです。何が残り、何が消えていくか、私の世代は手をこまぬいて観ているしかありませんが。

その点、怠惰なのは既存のTV放送ではないか、と思います。リモート出演にしただけで旧態依然の構成の番組か、再放送またはVTRに手を加えた程度の番組を流し続けている。大勢のクルーによらず、芸人を駆り出さず、ハンディでもTVでなければ提供できないメッセージが、そろそろ連発されてもいい頃ではないですか。

賀茂別雷神社所蔵法華経

相田愛子さんの「賀茂別雷神社所蔵「紺紙金字法華経并開結」について」(「アート・リサーチ」20)という論文を読みました。相田さんは仏教、美術、文学の交叉する平安末期から中世前期の絵画資料、殊に装飾経の研究をしています。この論文では標題の経典全10巻を調査して、賀茂別雷神社所蔵以前の来歴、制作年代、見返し絵の主題について考証しています。白黒ながら写真図版がふんだんに入っていて、関心のある人には参考になります(惜しむらくは印刷の具合か、図2-2と3は殆ど判読不能)。

各巻頭に本文とは別筆の朱の書き入れがあり、また巻八の巻末に「伝□□社奉納」ともあって、それらにより、弘安10年(1287)以前は別の社にあったものを、弘安10年以降他社(賀茂神社かもしれない)に奉納、さらに慶応4年(1868)の箱書から、これ以前に上賀茂社御読経所に移されていたと判断しています。見返し絵の傾向からは、平安末期から鎌倉初期、恐らく1180年前後に制作されたのではないかと推測してもいます。

見返し絵の精しい解読は力作です(ただ「弾力性ある」という説明は、よく分かりませんでした。形容が適切ではないのでは)。一つ残念なのは、冒頭に掲げられた写真と照合すると、箱書の訓読に問題があること。文書類を読み慣れた人に、教えを請うべきでしょう。また「後柏原天皇御宸筆」と記してあることに触れない(後柏原天皇在位は1500-25)のも不審です。

最後に『月詣和歌集』の釈教歌と見返し絵との親近性を指摘していますが、もともと賀茂社で制作された経典でないとすれば、釈教歌の共通性の範囲からどれだけ踏み込めるのか、和歌文学の方からの助言が欲しいところです。

バイタリティに満ちた相田さんゆえ、今後の展開が楽しみでもあります。

食いしんぼ

コロナの街は、天気が好いと老若のカップル(若い組にはマスクなしが増えた)や子供連れで一杯になる(自転車やキックスケーターを交えた家族連れで歩くのは、やめて欲しい。自分たちの集団内で動作を合わせるのに精一杯になってしまって、路上でどれだけ自己中になっているか、分かってるか!)ので、こまめに小路を曲がったり表通りへ出たりしながら、買い物に行きます。

裏通りでは、生垣の葉陰から、赤く色づいたユスラウメの実が覗いていました。思わずつまんで口に入れたくなって、他人様の生垣であることを、はっと思い出しました。春先に、可憐な小さい桜型の花が咲く果樹です。酸っぱいけど食べられるよ、と祖母が教えてくれて、70年前の子供たちにとってはおやつ代わりでした。

表通りの銀杏並木の下に、モミジイチゴが一叢茂っている所があって、これも葉陰にオレンジ色の熟した実が覗き、思わず手を出しそうになりました。10代に住んでいた小石川ではごく普通に自生していましたが、こんな所にどうして生えたのか不思議です。木イチゴの一種で、白い花と大きな濃い緑の葉は存在感があり、生け花の素材として花屋でも売られています。小中の頃は友達と遊びながら実をつまみ食いし、高校生の頃には、自身の思春期と木下闇の季節とが二重になって、悩ましさと重苦しさの象徴に見えました。

思いがけない路傍に、姫ヘビイチゴの実を見つけました。ビーズほどの赤い小さな実ですが、数が多いと綺麗です。調べると、生食には向かないがジャムにはなる、とありました。これでジャムを作るのは大変でしょう。かつて勤務した宇都宮大学の構内は、ほどほどに雑草が残してあり、ヘビイチゴの群落があって印象的だったことを思い出します。帰りに通ったら、実はなくなっていました。犯人は雀の子でしょうか。