能楽手帖

天野文雄さんの『能楽手帖』(角川ソフィア文庫)という本が出ました。現代でも演じられる能250曲の中200曲について、巻頭に「翁」を置き、その後、曲名のあいうえお順に、作者・上演史・展開(あらすじ)・素材・作意・演出などの項目を立てて、見開き2頁で解説しています。導入には作意を要約したキャッチフレーズ、曲柄(分類)、現在上演する流派、季節、舞台である地方、上演時間、登場人物も掲げられており、よくもこれだけの情報を詰め込んだなあと感心してしまいます。そのほか能楽用語解説、収録曲テキスト一覧も付せられていて、能楽鑑賞の手引きとして持ち歩くのには最適でしょう。

こうしてみると、能楽は日本人としての最小限度の教養に必須と言ってもいいかもしれない、という気になります。主たる古典、伝承、各地の名所、そしてそれらを含む名句が網羅されているからです。国際化が叫ばれる今日、外へ向かっても日本文化を説明するポケット辞書の代わりになるかもしれません。

天野さんは、現在は総じて能の「部分」に関心が集まり、「全体」として把握しようとする姿勢が希薄であると警鐘を鳴らしています。舞台劇であるという観点から、演出などの細部に関心が集まって、構想や表現などの論が少ないことは、門外の私から見ていても感じられることで、本書の「あとがき」を読むと、能という文学にどう近づき、どう潜りこむかについて、あるヒントが得られるでしょう。

私はつい、「素材」から入って読んでしまうのですが、本書の利用法にはいろいろあると思います。能楽鑑賞に出かけられない人でも、本書をちびちび楽しむ夜長は、豊かな時間になるはずです。

蕎麦猪口

今日から、朝のヨーグルトの器が換わりました。濱田友緒展で買った大ぶりの蕎麦猪口です。益子の伝統色と友緒さんのモダンなデザインがほどよくマッチした、掛合赤絵(益子らしい灰白色と黒の地に、柿に近い赤が効いています)。買う時は自分専用の小鉢に使う心算だったのですが、帰り道、永いことヨーグルトの器に使ってきた美濃焼を何日か前に壊したことを思い出しました。起き抜けにまず飲む牛乳のマグカップも、友緒さんの藍鉄塩釉鎬なので、我が家の朝は益子から始まります。

父は、民芸作家は作者名を入れないことが気に入っていました。自宅に床の間飾りなどできなかったせいもありますが、手に乗せて感触や重さを楽しみ、料理を入れて使うのが好きでした。それゆえ我が家では、濱田庄司作の鉢に漬物を盛り、彼のミルクカップでスープを飲みました。ステーキ皿もビールジョッキも、濱田庄司作でした。私が家事をやるようになってからは、気ぜわしくて欠いたり割ったりしそうなので、徐々に食卓の現役からは退きました。

先年、益子参考館へ寄贈した時、使われていた陶器は、死蔵されていた品とは違ってつやがある、と言って頂き、家族を代表して嬉しく思いました。工芸品は使われてなんぼ、と思います。人間国宝が制作した花籠などは、見とれるほどの美しさですが、ついに花を入れることはないんだなあ、とふと可哀想な気になります。

せっかく友緒さんが箱書きもしてくれた蕎麦猪口ですから、大切に使いたいと思っていますが、毎朝のことゆえ、うっかり欠いたりしたらごめんなさい。起き抜けの牛乳と、朝食のヨーグルトは、私のひそかな贅沢です。

平家語りの展開と継承

「芸能史研究」226号 特集・〈平家語り〉の展開と継承

 奥付:2019/7発行(実際は10月4日刊)。問い合わせ先:芸能史研究会

平家物語』諸本の展開と〈平家語り〉              松尾葦江

中世前期における盲人の芸能                   辻浩和

貞成親王と平家語り                       鈴木孝庸

近代の平家語りの享受の場と語りの変化              薦田治子

書評:後藤隆基著『高安月郊研究ー明治期京阪演劇の革新者ー』   寺田詩麻

書評:小林健二著『描かれた能楽ー芸能と絵画が織りなす文化史ー』 藤岡道子

紹介:丸山奈観「近世の権力者の邸宅における催能の場についての考察」・『やそしま』第12号・国立能楽堂開場35周年記念企画展「囃子方と楽器」・例会発表要旨

*2018/06/10のシンポジウム基調講演(松尾葦江)では、『平家物語』の本文流動と語りとに関わる諸問題を展望した。辻浩和氏(中世芸能史)は、〈平家語り〉以前の琵琶法師たちのありよう、社会的地位と芸態とを史料の中に探り、当道座成立前後の変化についてはヒントを示す。鈴木孝庸氏(語り物文芸)は、『看聞日記』に見える〈平家語り〉の演奏、楽器、享受の具体像を描き出そうとした。薦田治子氏(日本音楽)は、近代の〈平家語り〉がどのように変貌してきたかをたどり、芸能は時代とともに変わる宿命を負っていることを見据えている。
 シンポジウムの結果、膨張している問題を切り詰め、研究の凹凸をあざやかに彫り出すことができた、と思う。何が判り何が不明か、何を捨て何を掘り起こさなければならないか、今後、〈平家語り〉の研究はここから出発することになろう。(巻頭言より)

体験的電子事情・英文編

先発世代は電子化に、みんなそれぞれの苦労をしてきました。中世英文学の多ヶ谷有子さんから、以下のようなメールが来ましたのでお目にかけます。

[かつてワープロが世に出たとき、こうしたものが好きな学科長は英文科の教員に「書院」を配布しました。機器の苦手な私は手書きのほうが早く、使いこなせませんでしたが、山荘で辞書の仕事をしていた時、必要な物がそろわず、初めてWindows 95を使ってその便利さを認識し、ワープロ機能だけは使えるようになりました。その後、大学は工学部を中心に電子化し、書類も報告書もみなコンピューターで作成され、LANを通して連絡がくるようになりました。研究室の端末は大学が支給したので、ただそれだけを使いました。

 95、 98、 7まではなんとかついていけたのですが、Windows 8にいたって、勝手に文章や単語を変換するので奇妙な文章になり、困ることが多くなりました。特に、漢字変換や古い英語の文字(ギリシア語もアラビア語も出るのですが、中世の古英語、中英語の文字がないのです)は苦労しました。Windows 7、8も後には、発音記号も中世の文字も出るようになりましたが。

ローマに留学したとき、コンピューターが行き渡っているのにびっくりしました。おかげで検索とか、通信などいろいろ覚えました。なんと、日本語が使用できるPCまであったのですから。かなり古いPCでも目的を分けて使っていました。

Windows 10は、文字変換などがATOKに変わり、勝手が違うので慣れないのです。目下、そこだけはMicrosoft IMEに直して、昔ながらの方法で入力しています。何のために変えるのかわかりませんが、人騒がせです。ちなみに、ネットはWindows 10を使っていますが、文章はWindows 7で作成しています。

まだまだ、苦労しそうです。(多ヶ谷有子)]

日本語専用の私たちは、一太郎ATOKに重宝しています。ただ最近は、勝手に前回使わなかった漢字を優先的に出すので、気分が乗って書いている時はいらいらします。

体験的電子事情・前編

学部時代、一般教養の数学は1年間、2進法の話でした。それはそれで面白かったのですが(ものの見方はいろいろあるのだ、という、目から鱗が落ちる気持ちでした。今どきの、何の役に立つ?という疑問は生じませんでした)、後年、コンピューターの原理を教わったのだと判り、脱俗紳士そのもののようだった先生への見方が変わりました。

卒業後、TV会社の経営部門に入ってすぐの夏(マクルーハンが流行った頃です)、フジテレビが民放で初めて、コンピューターシステムを導入するそうだとの噂が広がり、隣席の男性社員が研修に出され、局に泊まり込みで課題をこなし、翌朝髭だらけの顔を見たことを覚えています。視聴率はまだ手回しの計算機ではじき出し、視聴者アンケートの集計は、パンチカードに棒を刺してソートしました。

鳥取へ赴任するとき、PC一式を買い、東京とデータのやりとりをする所存でしたが、結局、宅急便でカードを送る方が現実的だと分かりました。PCは雷や暑さ寒さに弱いというので、落雷すると(鳥取は夏も冬も雷が多い)工学部棟からは悲鳴が上がり、コンピュータールームだけに冷房がありました。家電にもPCが組み込まれ始めた時期で、アパートのベランダに置いた洗濯機がすぐ故障し、雷の多い地域でこんなものを売るな、と電気屋に言ったこともあります。

1999年に宇都宮に転任したら、国語科で学内LANを使っている人は1人もおらず、緊急の連絡はどうするんだと訊いたら、誰かが事務室まで走る(キャンパスは広い)との返事。やむなく物理学から端末を借りて設定して貰ったのですが、友人が作ったHPを送ってきて、容量が大きすぎ(兎のラインダンスの動画だった)、凍結しました。

当時の腰折を1首ーちりちりと歌いながらに起ち上がる朝の端末支援者のごと

windows10

サポートがなくなるというので、ウィンドウズ10に乗り換え、PCも買い換えました。誰もが使いにくいと言う10に、いつ慣れることができるか不安ですが、仕方がありません。高額の器具は10年は保つ、というのが常識だった世代なので、頭ごなしのモデルチェンジに納得がいかないところもありますが、そういう時代になったのでしょう。

キーボードは軽く、打ちやすくなり、全体に持ち運びしやすくなったのは進歩です。かつてラップトップと銘打ったワープロを買ってみたら、大きく、重くて、私の方が抱え込まれるような代物だったことを思い出します。

最初にPCを買ったのは、鳥取赴任が決まって、大量のデータカードをどうするか、端末さえ用意しておけば、工学部もあることだから何とかなるだろうと考えたのでした。まだ5インチフロッピーの時代です。日本語による情報管理の草分けだった田嶋一夫さんから手ほどきを受けました。名古屋へ移って、PCの夜明け時代に自分で端末を組み立てるところからやった、という村上学さんに、デスクトップの設定をして貰いました。職場の図書館長になり、強制的にインターネットとメールの研修を受けさせられました。ところが宇都宮へ転任したら、国語科には、端末もなければ使う教官は1人もいない。物理学専攻の中古端末を借りて仕事をしました。東京へ帰ってきたら、もう何もかもPC経由です。職場の端末は院生に、自宅の端末は故千明守さんに設定して貰ってしのぎました。

新しい端末の壁紙は、信濃の林檎の花にしました。不慣れゆえ、しばらくはメールその他、不義理をするかもしれませんが、悪しからず。

役者

日本酒の魅力を演じきった女優、というタイトルを贈るとしたら(ほかにも該当者はいるかもしれませんが)、松岡茉優。先日、訪問番組(勝手に他人の家に押しかける番組を、仮にこう呼んでおきます)で、獲れたての鮑の刺身を地元でご馳走になり、自分から地酒を所望して飲むシーンに、目が釘づけになりました。殆ど舌なめずりしながら酒を注ぎ、杯を空けるしぐさと表情で、鮑のうまさ、酒のうまさ、周囲の人々への親近感とその中にいる幸福感を一遍に表現し、しかも女優としても美しい。彼女の存在は、TVドラマ「銀二貫」以来、友人と共に「あのこ、いいね」と注目していたのですが、カンヌの賞よりもこのシーンが、印象に残りました。

男優にはいくらも酒好きがいるでしょうが、八代目中村芝翫(どうも、芝翫と言えば私には七代目の顔が浮かぶのですが、最近は、八代目を観ても橋之助という名がぴんと来なくなってきました)が利き酒をする観光番組の1シーンも、いかにも遊び慣れた男盛りの雰囲気が出ていて、酒が美味しそうに思えました。

昨日、富士霊園の売店で慌ただしく買ってきた「やま柿」という和菓子。おやつに食べてみたら、すぐれ物でした。干し柿を圧搾して小さな正方形に切っただけですが、切り口がミルフィーユ状態になっていて綺麗です。天然100%感があり、甘さも程よく、和紙の包装デザインもいい。たしか岐阜にも、同様の棹菓子がありましたが、こちらは1口サイズなのが新味。酒の肴になる!柔らかいチーズを添えてもいいかもしれません。吉祥文の小皿を選んで3片ほど載せ、ぬる燗で、仕事の合間にかるく一杯―すでに夜風は冷たくなり、そういう季節になりました。問題は、私の体力だけです。いい仕事をした日の御褒美に、と思って禁欲しよう。

追記:「やま柿」の包装には販売地しか書いてないのですが、本来越中の銘菓でした。