健康管理

現代は、患者がある程度勉強して、持病についての知識を持たねばならぬ時代になったようです。医者任せにしたければ、大勢の家族が集団で、患者の救命を希う圧力をかけること。そうでもしないと、この病状にはこれ、といったスタンプ的治療を当てはめられ、運によっては医学の恩恵に与かれぬまま世を去ることになりそうです。

後期高齢者目前になった昨秋から、胃腸の具合がわるく、複数の病院を受診しましたが、何かしら納得できず、途方にくれました。やむなく、自分の健康を阻害していると思われる要素を一つずつ検討していきました。起き抜けに牛乳を飲んでから、諸々の朝の家事をこなす。定年後は2食にしていた(3食作って食べて洗うと、家事にかかりきりになってしまう)のですが、おやつを摂って計3食にする。ちょくちょく水分を摂る(まさしく老人の生活です)。朝晩のストレッチ体操に、お腹を動かす深呼吸を加える。買い物その他はちょっと遠回りする。

完全復活とはいきませんが、1年かかって回復してきました。腸の老化についての本を読むと、あれこれ腑に落ちることが多く、どうやら自分の健康管理法にOKを出せそうな気がします(但し、やたらにオリーブオイルの摂取を勧める本がありますが、古猫じゃあるまいし、毎日大匙2杯も油を舐めることはできません)。

学んだことその1:案外、人体のことを知らずに生きてきてしまった。小学校で習った人体解剖図と自分の身体のどの辺が対応しているかも、よく分かっていない。

その2:健康にいいこと悪いことは、年齢によって変化する。メタボばかり用心していても、高齢者になると事情が違ってくる。

その3:永続できる健康法は、自ら編み出すしかない。

 

人はどれだけの

何だかもやもやしています―たとえ1円の給与でもここへ来た、と啖呵を切った紳士の映像を見ながら。ほんとにそうなら、給与は要らないよ、とかそんなに高くなくてもいい、とか言ってもよかったはず。報酬額を呈示された時、少なくとも、わるくない、と感じはしませんでしたか。志だけで引き受けた、なんて英雄ぶるのはどうも。

勿論、急に世論を気にして報酬金額を下げたのは、事務の手違いなどというものではなく、失礼であることは確かです。仕切り直す、というより官民共同事業にするのが適切かどうかから考え直した方がいいのではないか、と愚考します。

人はどれだけの土地が要るか、という有名な説話があります。同様に、人は一生にどれだけの金が使えるのでしょうか。事業を興すとか寄附するとか、他に分配するのでなければ、おのずから上限があるのでは。

製造業の場合、経営者だけで儲けは出せないのだから、社員の平均給与を基準にして、役員報酬に上限の目安があってもいいのではないでしょうか。平均給与×係数(この係数は何らかの根拠に基づいて決める。例えば休息はない、として8分の24×22分の30とか)、それに成功報酬を乗せてもいいでしょうが、社員の給与と無関係の天文学的数字は、おかしい気がします。では金融機関や投資会社、社員の多くが歩合制で働く組織などはどうでしょうか。この辺から、凡人のもやもやが始まるのです。

公的資金」という言葉が使われるようになってから、人々の金銭感覚があやしくなったと思います。ずばり血税と言うべき(研究補助金の注意事項には、この語がいまも使われている)です。誰のものでもない金は、自分のものも同然、という感覚の発生は意外に普遍的なようで、誰でもモラルハザードに陥る可能性が、ある。

紅葉狩り

郵便局へ行くついでに長泉寺の境内へ寄りました。例年、春に桜を楽しませて貰うので、六地蔵の御前に、我が家で育てた菊の鉢を置いたのです。咲いていなかったら交換しなくては、と見に行ったのですが、ちゃんと咲いていました(この菊はもともと、山門の下に咲いていた小枝を1本失敬して、挿し木で増やしたもの。その後、もとの株は引き抜かれてなくなりました)。庫裡にある櫨紅葉が綺麗なので、葉柄ごと拾って帰りました。

裏道を回ると、あちこちの満天星やブルーベリー、桜、水木などの紅葉がけっこう楽しめます。梔子の実が黄金色に熟れているのが目立つように、葉を毟ってある家もありました。我が家の梔子は八重咲きなので実がつかないのですが、2度楽しめるのもいいなあ、と立ち止まって眺めました。

本郷通りの公孫樹並木の色づき具合は、木によって遅速まちまちで、もう裸木になったのもあります。今年は南天が、花の時季から豊作らしいと思って見ていたのですが、たしかに房が大きい。ピラカンサスやコガネモチの実も赤くなりました。

のんびり歩いているように見えたのか、地元の人か、と呼び止められ、この辺にかつて大きな木造のアパートがあったはずだが、と訊かれました。裏通りは案外、建て替えが頻繁なので、この10年で随分変わりました、と答えておきました。初老の男性でしたが、学生時代に下宿でもしていたのでしょうか。休日にはカメラや地図を持ってうろつく人も多い。

朝刊のない日は気が楽です。かつて、新聞は読まない、と公言して物議をかもした首相がいましたが、立場を変えれば気持ちは分からないでもありません。今は読むのにつらい記事が多すぎます、民にとっては。

軍記物語講座

軍記物語講座 刊行の辞

振り返れば軍記文学研究叢書(汲古書院)が刊行されてから、そろそろ20年が経とうとしています。この間に軍記物語研究も大きく変化し、新たな視野がひらけたと共に、研究対象が拡散し、文学本来の課題は見えにくくなってしまった、というのが率直な感想です。重要な課題が解けぬまま残されている場合も、多いのではないでしょうか。核心に突っ込むきっかけが、何か必要なのかも知れません。
 折から、国文学専門の新しい出版社、花鳥社が旗揚げしました。首途のお祝いを兼ねて軍記物語研究のシリーズを出さないかと相談し、全4巻で、という話ができました。従来の研究が立ち止まっている地点に新たな視野をひらき、若手研究者や歴史文学愛好家、そして他分野の文学研究者たちの関心を呼び起こし、10年後、15年後の軍記物語研究の頭出しになれば、と考えています。

第1巻『武者の世が始まる』(将門記陸奥話記・後三年記・保元物語平治物語・承  

              久記)

第2巻『無常の鐘声―平家物語

第3巻『平和の世は来るか―太平記

第4巻『乱世を語りつぐ』(曽我物語義経記・室町軍記)

各巻の企画に当たっては、複数の方々の御意見を聞き、知恵をお借りしながら進めました。精選したテーマで、正攻法の研究論文が計60本、各巻に、軍記物語を理解するのに役立つ付録資料をつけます。絵画、芸能、日本史、和歌など他分野も含め、文学史的な広がりを意識しました。2019年秋から翌年にかけて刊行の予定です。

御声援下さい。なお刊行順は第3巻から、と予定しています。

看護師の涙

先日、東大の臨床死生学の講演会で、患者に死なれた医療関係者の心のケア、という話題が出たとき、会場の空気がぐっと迫るのを感じました。当事者、経験者が多かったのでしょう。同じ頃、TVドキュメントで、救急病院の24時間を追う番組がありました。担当した患者が亡くなった後、霊安室で泣いてしまったことを恥じる新米看護師を見ていたベテランが、TVカメラに向かって、自分も駆け出しの頃ああだった、時代が変わっても同じだと判って安心した、と語っていました。新人教育を任されたばかりで、教育方針に迷っていたところだったらしい。

それで、また看護師さんのことを書く気になりました―16年前、家族を看取った後、喪主になるはずの私は、とうてい泣くどころではありませんでした(終末期には、見舞って帰るタクシーの中でずっと泣きましたが)。厖大な、しかも初体験の手続きと、関係者からの連絡を捌き(青山斎場の住居表示を、裏付け取りと称して電話で聞いてきた経済記者もいました)、さまざまな段取りをし、老人ホームの退去を準備し・・・そんな中で、泣いている担当看護師さんを、看護師長さんが抱きかかえているのを見て、代わりに泣いて貰っている気がし、一瞬ですが癒やされました。

弟を見送った時も、訪問看護師さんから、形見にサボテンの鉢を下さい、と言われ、病身の弟にも喜怒哀楽のある人生があったことを実感しました。入退院を繰り返していた弟が、留守の間に咲いたサボテンを見て、嬉しがったのだそうです。

今でもあの方々には、恩に着ています。看護して下さったことと同じくらい、泣いて下さったことを。

字余り

朝刊の川柳欄の1句に、今ぴったり、と大いに共感しましたーあちこちへ討ち入りしたき師走かな。

全くです!消費増税は、あれやこれや姑息なサービスをつけて骨抜きになる。まるで竹鋸で首を切るようなやり方です。どうしても必要なら必要額だけ上げて、その代わり、それで当分まかなえるように財政をやって貰いたい。そもそも税の徴収は誰にでも一目で解るような、明快な方法で行われるべきです。

出入国管理法改定には人手不足を理由にしていますが、現状把握が十分出来ているのか、あやしい。年金や保険制度は吟味したのか。国際社会に向かって、我々が恥ずかしくない、しかし持続可能な、つまり将来に亘って多国籍の人々とふつうに共生出来る制度設計をしたのか。

産業革新投資機構などという、巨大なカネクイムシがいつの間にか生まれていたし、水道法改正の結果、災害時の供給と普段の水質が全国どこでも保証されるのかどうか、不安です。それもこれも、1強総理の下、実務能力の著しく低下した官僚たちが作る政策が穴だらけ、乃至は民を忘れて作っているように見えます。

悲憤慷慨しながら再度川柳欄を見直したら、投稿句は、正しくはこうでした―討ち入りをしたきところ多き師走かな(青田敏武)。はっとしました。人間はつい定型にはめて記憶したがるが、この句はやっぱり、こうでなくっちゃいけない。字余りによって表現される気持ちは、字句の意味と同等です。つまり、型式は内容である。

赤髪の看護師

一度会ったきりで、忘れられない人があるものです。都立定時制高校の教諭だった頃(40年前)のこと。その高校は男子生徒の半数は自衛隊員で、女子生徒の大半は准看護師(昼は病院などで看護業務を務め、定時制4年間で必要な単位を揃えれば正看護師になれる)でした。勤務が大変らしく、なかなか予習復習はできないようでしたが、通学態度は真面目なので、教師側は比較的楽でした。

事情があって学年途中でクラス担任になった際、ずっと欠席している女子生徒(准看です)がいて、呼び出しをかけました。何回も連絡した挙句、やっと本人が現れたのですが、髪は赤く脱色してちりちりにパーマをかけ、つまり全日制生徒だったら校門を通れないような格好で、やって来たのです。ともかく話を聞きました。

重い口を開いて語ったのは―どんなに手を尽くしても、亡くなる患者さんというのがある、つらい。暫く看護師を辞めてみたい。勤務先と高校とは提携しているので、病院を辞めるには学校も辞めなくてはならない。でも、いつかきっと、看護師にはなる。

私はOKを出し、退学手続きをしました。暫く何をするのか訊いたら、喫茶店で働く、との答えでした。赤い髪は、今までの世界からはみ出したい、というサインだったのでしょう。職員会議ではなぜ引き留めなかったのか、と責められましたが、彼女の「いつかきっと」は、自分自身に誓った言葉だと聞こえたので、私は言いませんでした(職場と学校がきっちり繋がっている別の定時制高校でも、いちど辞めてみたい、と言いに来た男子生徒を黙って出したことがあります。高校段階では、本人に道を選ばせるのも教育の一つだからです。当時の都立定時制は、定員割れすれすれだったので、本人が望めばいつでも復学できました)。

あの子はどうしたでしょうか。今では看護帽とヘアスタイルがつり合っているかしら。