『明日へ翔ぶ』最終巻

公益信託松尾金藏記念奨学基金は2002年12月に発足し、03年度以来196名の人文学系大学院生を支援して、来年度で終了します。この奨学金の特典は、基金の報告書を兼ねた論文集『明日へ翔ぶー人文学の新視点ー』(風間書房)に、論文を執筆できることです。これまで6册の論集が刊行され、2025年3月19日に7冊目が出る予定で、すでに執筆希望が揃い、基金事務局と版元との打ち合わせが始まりました。22年間に亘る事業の掉尾を飾る論集ですので、力作が寄せられることを期待しています。

そして基金終了を記念する8冊目は、これまでの奨学生の中希望者が執筆できる1冊としました。論文か短い近況報告のどちらかを選べるようにしましたが、多くの申し込みがあり、版元にはもうぽつぽつ原稿が届き始めているそうです。仮目次を見ると、驚くほど広範囲の分野に亘り、いまこの時代の人文学がどこまで拡がっているかに目を瞠ります。

人文学の業績評価は、いかに説得力のある文章で成果を記述できるかにかかっている、と言っても過言ではありません。仲間内だけに通用する話題や価値観で書いていては、一生は保ちません。本書のもう1つの特典は、読者の目からみて、わかる論文に仕上がっているかどうかを、校正段階で指摘して貰えることです。指導教授とはまた別の、他分野の読者からの視点に応えられる、素直で足腰の強い文章が求められています。

8冊目の原稿は、3月末日が締切です。お目通し下さる先生方も、楽しみに待っておられます。後日、この先生に見て頂いたのか!と吃驚する場合もあるかもしれません。基金終了後のサプライズです。誰に読まれても胸を張れる、自信作をお寄せ下さい。

今日は金蔵の23回忌。奨学生たちが送ってくれる研究成果やお便りのおかげで、仏壇はいつも賑やか。新しい知に接することが好きだった彼を退屈させずに済んでいます。

説明責任

最近、耳にたこができるほど聞かされる語がありますー曰く、説明責任。与党総裁は党員に「説明責任を果たすよう求めていく」と繰り返しますが、一向に効き目がないようです。あんまり頻繁に聞いているうちに、はて、どんな意味だったろうという気になり、ウェブで調べました。もともとは経済用語だったとあり、対語は「実施責任」だそうです。accountabilityの翻訳語だと知ると、何となく納得したような気にもなるのですが、最近の用法には疑問が多い。

医療従事者から患者へ、経営者から株主や投資家へ、学校関係者から地域社会や保護者へ、という関係ならよく分かるのですが、彼らは誰に対して責任を負っている所存だろうか。辞書の解説では、[責任を負う対象をつねに念頭に置いて行動すること、広義の「責任」]とあります。なら政治家の説明責任は、納税者、有権者に対して果たされるもので、つねに我々を念頭に置いて行動しなければならないはず。

そもそも説明できないことをやっちまったから問題になっているのに、何が説明できるのでしょうか。案の定審査会では連日、自分は知らなかった、結果的にこうなっちゃった、と異口同音に繰り返される。聞くのがつらい。

要は領収書のない政治資金の支出を止めるべきです。つまり説明できない金は使えないということを、身体で覚えて貰う。政治にはカネがかかる、を禁句にすること。かかった金の出入りを追跡できるようにしなければ、政治のいかがわしさは払拭できません。

党員に説明責任を果たせと言うなら、党首は実施責任を負うべきなのでは。それは過去の人に押しつけてしまう気か。もともと「じゃんじゃん刷った」お金、でも一夜で木の葉になって、責任がチャラになったりはしませんよ、昔話じゃあるまいし。

長門切「三十騎には」

平藤幸さんの論考「新出『平家物語長門切の紹介と考察」(「国文鶴見」58号)を読みました。この度鶴見大学図書館蔵となった、5行の長門切の翻刻とその考察です。源平盛衰記巻35「粟津合戦」の一部、既出の切(鶴見大学図書館蔵「名乗て懸出」の数行前に続く部分らしい。概ね源平盛衰記の本文と一致するものの、部分的に長門本に近い点もあるようです。

現存する長門切には何故か義仲関係記事の箇所が多く、それが何を意味するのか、私にはずっと気になっていることです。読み本系平家物語の合戦記事では、頼朝や義仲配下の武士たちの名が具体的に記され、しかし現在の我々からはその伝が十分追跡できない例が多い。このことが事実との近さを示すものなのか、逆なのかは、平家物語の成立に関わる問題でもあります。

鶴見大学の日本文学科は昨年、開設60周年を迎えたのだそうで、本誌はその記念号、和歌に関する論文や資料紹介が満載です。中川博夫さんの「中世和歌の「そぢ」覚書」は、中世文学で「六十路」とか「七十路」と言った時は何歳を指しているのか、という考証で、まとめに述べられた内容は概ね妥当だと思いますが、もともとその文脈の中で決まる性格の語なのでしょう。殊に「路」という語を含んでいるので、ある年齢の前後の過程が意識されており、その時期の境涯そのものを背景に持つ場合もあるかと想像します。例えば39頁下段に引用されている久保木哲夫さんの論、俊惠の七十賀に賀茂重保が詠んだ「いのりかさねて行末も猶ななそぢの」という歌は、さらにもう70年後の春を、という意味なので、今後の70年という過程(行末も猶)を意識していることになります。

中川さんはこの春御定年だとか。(自分の事は棚に上げて)歳月の速さを実感します。

102年目の魚屋

父の命日が近いので、花を買いに出ました。この近辺では頼れる花屋がなくなって、不自由しています。週末だけ出す店があって、品数は少ないが花が新鮮なので、まずそこへ行ってみました。黄色いフリージアがある。白か紫ならもっとよかったけど、父の好きな花だったので、ここで揃えることにしました。紫のベロニカ、白いオルニソガラム、黄色のラナンキュラス、オレンジ色のカーネーション。彼が気に入っていた石川窯の花瓶に挿せば、何とかなりそうです。

戻ってくる途中で、魚よしの新装開店に出くわしました。創業102年目の魚屋です。このところ店を建て替えていたのですが、3階建ての真黒なビルの背後に真白な賃貸ビルが接続していて、到底鮮魚を売る建物とは思えない。正面だけ見ると博物館か何かのようです。美容院で聞いた話では、もともとアパート経営もやっていたのだそうで、代替わりを睨んで踏み切ったのでしょう。華麗な祝花が並んでいましたが、「本郷小学校同級生一同」の名札のあるのがいかにも地元らしい。

店主は区の福祉事業や中学校の料理教室にも参加している「意識高い」系。声が大きくて、朝など坂の上の我が家まで筒抜け。コロナの間は敬遠していたのですが、魚屋の声が大きいのは本来でしょうね。店の間口は半分になり、ショーケースも小さくなりましたが、見本だけ置いて、客の注文次第で捌くやり方にしたようです。毛蟹が1杯、鎮座していました。硝子戸には水紋のような絵が描いてあり、暖簾にも。どうしたのか訊くと、知り合いのデザイナーに頼んだそうで、付き合いが広いのでしょう。今どき建築デザインは高くつくはず。こりゃあがんばんなくちゃね、と言ったら、頑張るために建てたんだから、との答えでした。鮃の刺身を買って、新築祝いの魚形スポンジを貰って帰りました。

2万の星

2017年1月から開始したこのブログに頂いた星の数が、本日2万を突破しました。お読み下さる皆様、声援を送って下さる方々、また時折、素敵な写真を送って下さる方に御礼を申し上げます。おかげさまで見守り機能も果たしてくれており、認知症テストを試みようとする区派遣の地域担当ケアマネには、氏名検索してブログを読めば、認知症かどうか判るから来なくていい、と言って断りました。

毎朝扉を開けて、咲き誇るパンジービオラの花むらが陽に照らされているのを見ると、ああこれが平和というものだ、と実感します。今日は、用があって午前中に郵便局へ出かけました。いつもは子供たちの駐輪で道が塞がれ、甲高い声が溢れている小さな公園は未だひっそりとしていて、車椅子の老人が日向ぼっこをしている脇で妻らしき老婦人が鞦韆に座り、しかし2人とも特段の会話はなく、沈丁花の香りがときどき風を感じさせます。

そう、これが平和なんだ、と改めて思ったのですが、午のニュースでは、共同開発した戦闘機の輸出は閣議決定だけでOKになるという。第2与党さん、閣議決定なんて歯止めにならないよ、殊に今の政治状況では。言訳にも口実にもならない、ただの手続き。今日の平和をいつまで守れるか、視線を上げてもっと遠くを、真剣に見て欲しい。

政治や社会批判を書くと、不愉快な公告がわっとひっついてきたり、身内から心配メールが来たりするのですが、花や風を楽しむ日常と、文学研究の我が道を行く覚悟と、平和や平等を守りたい意思とは一団のものです。これからも御愛読、御声援のほど、よろしくお願いいたします。

日航機墜落事故で亡くなった歌手を、いまこの御時世で振り返ると、「上を向いて」と「見上げてごらん」の2曲だけでも昭和史を代表する歌手だった、と思います。

時計屋

腕時計が動いたり止まったりするので、電池切れにはちょっと早いなと思いながら、春日通り沿いの時計店に出かけました。東北訛りの老店主が修理もする店です。先客がありましたが、開いている時が少ない店(コロナ以来、子供たちからもう辞めろと言われたのだそう)なので、腰を下ろして待つことにしました。

店内を見回すと、目覚ましや腕時計は昔より信じられないくらい安くなりました。硝子ケースの中に、小さな透明の箱を並べて、分解した時計の部品が置いてある。転用するためなのか、でも時代色のついた精密な歯車や捩子は、それ自体が美しい。インテリアになるな、と思いながら眺めました。

20分くらい待って順番が来ました。本来なら2年保つはずの電池だが、時計も古くなると、人間と同じで手が掛かるようになる、と言う。亡父から下げ渡された時計なので、40年近く使ったと思います。そろそろ寿命か、と思いつつ今回は電池を替え、2年経たずに止まったら諦めることにしました。話好きな店主で、86歳になったのだそう。時計を見ているとは気づかれないように見るには、男物の方がいいんだよね、と言ったら、いやいや今は長袖をめくっても堂々と時計を見るようになった、と言う。私の場合は生徒の気が散らないためだったのですが、そう言えば昔は人前で腕時計を見るのは失礼な動作でもありました。スマホが普及して、腕時計はあまり使われなくなったのかもしれません。

本人より高価な腕時計をしてどうするんだろう、ましてそれをリースに出すなんて気が知れないね、腕時計はとても個人的なものなのに、という話をしたら、店主はコロナよけのクリアシートの囲いから飛び出してきて、そうなんだよ!と熱弁を振るいました。思いが溜まっていたものとみえます。

石母田正がいた時代

評伝『石母田正』(磯前順一 ミネルヴァ書房 2023)を読みながら、かつて見慣れた日本史の学者名が次々出てきて、ああこの人はこうだったのか、と知る例が続いたので、日本史の人は本書をどう読むのか知りたくなり、錦織勤さんに問い合わせメールを出しました。錦織さんは府立図書館で借りて読む、と言ってきましたが、読む速度は私よりずっと速く、2,3日後にはこんなメールが来ました。

【思想史的なところは十分に理解できたわけではありませんが、全体としては、非常に面白く、勉強になりました。石母田さんの思想的な背景が、日本共産党の動向と、ここまで不可分なものであったことは、知りませんでしたし、英雄時代論がどのような意図で書かれたものか、それが石母田さんにとってどれほど重要な問題だったのかも、初めて知りました。ここに書かれているようなことを分かった上で、著書・論文を読んでいたら、受け取り方も違ったものになっただろう、と思いました。
石母田さんの一番の課題は、社会の変革、マルクス主義的な革命にあったというようなことは、以前から窺えるところでしたが、それが石母田さんにとって、どれほど切実で重要な課題だったのか、というようなことは、周りにいた人には知られていたことなのでしょうが、地方で細々とやっていた者にはなかなか知り得ないところで、要するに、「階級国家の成立と消滅という石母田の研究主題を除去したところで、その成果を既存の制度史として読み取ろうする」(本書ⅱp)者の典型だったということです。この本を読んでみて、改めて石母田さんの偉大さ、人間としての誠実さ、謙虚さも見えてきたと思います。
教養部の頃に読んだ論文に、史料の読み誤りを指摘されたのに対して、「史料にどう書いてあろうが、マルクスはそう言っているんだ」と書いたものがありました。唖然とし、それが有力誌に載せられていたことも驚きました。史料よりマルクスが大事なら、歴史じゃないだろう、と思いました。その種の体験や、『資本論』にはこう書いてあるとか『ドイツ・イデオロギー』にはこうあると言われると、読まざるを得ないような気がして手を出すのですが、何度も挫折。近年、同年代の非常に有能な日本史研究者が書いた、人生で一番読んだのは『資本論』だ、という文章を読んで、いま思うと、日本史の主流となっていた研究との向き合い方については、分からないなりにもう少し対処の仕方はあったのかもしれない、という気もしています。ウェーバーは分からないなりに面白いと思いました。『理解社会学のカテゴリー』だとか、『社会学の根本概念』などという、概念規定がずらーっと並んだ、一見、無味乾燥とも思える著作も、理解できないのだけれど面白い、わくわくする感じがありました。】

ほぼ同じ体験をしてきたと思いました。「共産党宣言」の昂揚感は今も思い出します。