横須賀線

富士霊園へ墓参に行きました。父方の従妹夫妻の車と、横須賀線の駅で待ち合わせしたのですが、東京駅で、目の前で列車のドアが閉まり、乗り遅れました。日頃横須賀線に乗らないので、次の列車に乗ればいいやと時刻表を見ると、何と33分後。なぜか彼女のケータイは通じず、最善策を訊こうとしても駅員はいない。やむなく東海道線で横浜まで行って乗り換えようとしたら、階段を上ってくる人の波に抗しきれず、また目の前でドアが閉まりました。以前のようには機敏に動けないことを計算して、行動しなければいけなくなったのです。

20分遅れで合流。途中のインターで、お供えに「丹沢あんぱん」という名産品を購入(丹沢と餡パンの関係は不明)しました。すると、行く手に雪を被った富士山が堂々の姿を現わしました。いろいろ経緯があって、亡父はこの夫妻のことを最期まで心配していたので、こうして揃って墓参に来たことを喜んでくれているな、と思いました。

ベゴニアの植え込みが鮮やかに咲く霊園に到着、平日なので人けはありません。墓石を拭き、竜胆の花と線香を上げ、麦酒とあんぱんを供えてお参りし、ほっとしました。今年は台風のせいで、木の葉は紅葉せずにちりちりと枯れていくようです。もう山茶花が咲き始めていました。

いつものように名鉄菜館で遅めの昼食を摂りました(ここのザーサイや、デザートは美味しい。今日のデザートは、濃厚なプリンの上に栗の甘煮が乗っていました)。その後順調に流れる東名を走り、後部座席の私たち2人はとめどのないお喋りを続け、午後5時に帰宅。朝の焦燥は胃にこたえましたが、ともかくも今年の務めを果たしました。

速射

半年ごとの眼科検診を受けに行きました。病院にいるのは、受付から支払いまで3時間くらいですが、瞳孔が開く薬を入れられるので、結局夕方まで仕事はできません。この大学病院は、圧倒的に男性の入試合格率が高いので、最近問題視されています。そう言えば、眼科以外では受診しても女性医師に出会いません。医師は男性、それ以外のスタッフはほぼ女性という役割分担ができあがっていて、それでスムースに運営されているのでしょうか。今後の究明が気になるところ。

視力、視野の検査が終わり、眼球の診察に呼ばれたのはもう正午過ぎでした。女性医師から、何も悪くなっていない、定期検診でなく症状が出たら来ればいい、と言われたのですが、おそろしい早口(人間わざとは思えない)で、半分も聞き取れない。女性医師にはときどき、こういう速射コメントをする人がいるなあ、忙しいだけなら男性も同じはず、患者に甘えさせないためかなあ、とぼんやり余計なことを考えてしまいました。日常の読書は裸眼、TVは近眼鏡、PC画面は老眼鏡で見ている、と言ったら、それでいいけどTVは・・・とまくし立てられ、聞き返す気にもなれず(いちおう肯定されているらしいから、まいいか)、しかし初診料を払うのはたいへんなので、半年後の検診をカルテに書いておいて貰うことにしました。眼と頭だけは、知らず知らずにわるくなっちゃった、というわけにはいきません。

バス2駅を歩き、途中で蕎麦を食べ、明日の墓参のための花と線香を買ってのそのそ帰りました。スーパーの店先に、赤と黄のグラデーションが綺麗な洋梨が出ていて、思わず買ってしまい、仏壇は、昨日買って来たラ・フランスも合わせて、洋梨が山盛りになりました。故人は洋梨はあんまり好きじゃなかったけど。

稲庭うどん

秋田名物稲庭うどんには、苦い思い出があります。もう30年以上前、私は世田谷の小さなマンションの4階に住んでいました。非常勤先で遭ったフランス語の講師(都立大教授でした)が、高校の先輩だと分かり、帰りに渋谷で呑むことにしました。美人の若いママの店でしたが、平日なので他の客は殆どなく、私たちは思う存分お喋りをしました。そろそろ締めようかという頃、ママが美味しい冷酒がありますと言う。話に夢中になっていた私たちはそれを注文し、締めに美味しい稲庭うどんがあります、と言うママに任せて食事を済ませました。さて勘定書を貰ったら、高い!先輩は思わず首をかしげましたが、食べてしまったものは仕方がないので、その通り払って出ました。

週末、最近1階に越してきた奥さんが、赤ちゃんを抱いて回覧板を届けに来ました。ふと顔を見ると、あのママです。さっと彼女の顔色が変わりましたが、そのまま何食わぬ顔で別れました。それ以後、私と先輩はあの店へ入ることはなく、ママも回覧板を持って来ることはありませんでした。

爾来、稲庭うどんを注文するのは何となく心理的抵抗があって、あまり食べませんでした。しかし昨日、秋田の駅ビルで、仕事の打ち合わせをしながら慌ただしく食べた稲庭うどんは、だしが美味しく、のど越しがよくて絶品でした。

年を重ねるにつれ、いろいろなことや人と折り合って、落とし前をつけていくようになります。秋田で私は、稲庭うどんと和解したのでした。

秋田で

中世文学会初日の講演を聴きに、秋田へ行って来ました。宇都宮へ通っていた時には通過列車として眺めていたこまちに乗り、黄金に輝く稲田や綺麗に揃った杉林、清流、小粒の実をたわわにつけた柿の木など、なつかしい日本的風景が見え始めたのはようやく仙台を過ぎてからでした。往復8時間乗って、秋田にいたのは5時間半。

約束していた人と落ち合って、もう一つの目的でもあった打ち合わせを済ませ、講演を聴きました。2本とも資料にはぎっしり細字が詰まっていて、時間内には語りきれませんでした。小峰和明さんの「東アジア文学圏と中世文学」は、いま彼が熱中している、唐・宋・元の説話芸やベトナムの話芸としての説話について、それらが筆記されて伝わり、日本の文学にも影響を与えているのではないかという内容。近く『東アジア文学講座』全4巻(文学通信社)として出版するそうです。野口実さんの「中世前期、出羽に進出した京・鎌倉の武士たち」は、11世紀の奥羽在地勢力と京都権門の利権の関係をふまえ、『吾妻鏡』の記事を検討しながら、もっと出羽国の独自性への注目が必要だと説くもの。ちょうど必要があって、その時期の軍記物語の勉強を始めていたので、研究状況が分かり、有益でした。

いま秋田市では高校野球の選抜戦が始まっているそうで、タクシーの運転手によれば、「金足農業は強いんだが年によってむらがある」とのこと。お土産に食用酸漿をはさんだクッキー、それに比内鶏の駅弁を買いました。このところ、秋田犬が観光の目玉になっているらしく、巨大な張りぼてが出ています。改札口の前では秋田民謡の実演が行われ、吃驚するほど賑やかでした。とつぜんホームの向こうで汽笛が吼え、何だろうと思ったら、今日はSLの運転がある日なのでした。

大曲の駅を出るとき、白金の色をした豪華な花火が揚がりました。偶然、花火大会の日だったのです―何だか元気が出ました。

 

百寿

母方の叔父が百歳を迎えました。末っ子だった叔父は、7歳上の私の母になついていたらしく、今でも甘えん坊のところがあります。子供の時の中耳炎(昔はよくあったのです)のせいで難聴のため、聴診器を使わない医者(皮膚科)になりました。新潟大学医学部へ進学した時、義理の兄になっていた私の父は、しっかり勉強するように、と長文の手紙をよこしたそうです。私はどうしても叔父さんと呼ぶ気になれず、父が呼んでいたようにゴロチャンと呼んでしまうので、従妹は時々むっとしています。

愛妻を亡くしてから老人ホームへ入りましたが、声が大きいのと看護師さん相手に冗談を言っていた癖が抜けなくて、なかなかなじめないらしい。

しかしあるときハンセン病治療への貢献で表彰され、家族にも知らせず、ずっとそういう仕事をしてきたのだと分かりました。80代まで、夜行バスで正倉院展を観に行ったり、突然、葉書に筆太な俳句を書きなぐってよこしたりしました。以下は、私が今の家へ越してきた時に大きな紫陽花の鉢植えを贈ってくれたので、メールでやりとりした連句です。最近は白内障が出て、メールもやらなくなったようです。

大鉢の花を迎へて転居済む                      mamedlit
 紫陽花いろの小雨ふるなり                    Goro
春の夜や達治の夢の乳母車                        mamedlit
 雲居に紛うかの蜃気楼                            Goro
薫風が門を抜けたる南禅寺                        mamedlit

1782年

仏蘭西からジャックリーヌ・ピジョーさんが来日されました。御伽草子その他、日本中世文学を専門として、ひろく活躍されてきた方です。私には市古貞次門下の姉弟子に当たります。赤門前で待ち合わせし、変わり果てた(図書館前の大楠も無くなった)東大構内を御案内して、正門から出ようとしたら、中核派がたった2人で演説をしていました。思わずあの時代が懐かしくなって、チラシを貰いました。公孫樹並木は未だ青いままです。

ピジョーさんは、日本酒を呑むのを楽しみにして来られたのですが、去年入った日本料理の店は潰れていました。隣の、博多料理を看板にしている居酒屋に入りました。メニュ―を見ると佐賀、熊本などの料理が並んでいるので、思わず「博多料理は何があるとね?」と1発、アピールしてしまいました。

よもやまのお話をしました。難民問題、宗教と女性の人権問題、女性研究者の老後の問題、いわゆる妊活と少子化の問題、欧州の日本文学研究の現状、男性から見た女性研究者の位置づけの問題・・・3時間半以上お喋りして、お別れしました。このところ毎年、12時間もかかるフライトを無事にクリアできるかどうか、心配しながらも来日され、日本の海で泳ぐのを楽しみにしていらっしゃるとのことです。

お土産に、ルーブル美術館所蔵品のレプリカ、錫のぐい呑みを頂きました。1782年の銘が入っていましたが、その意味はよく分かりませんでした。錫のぐい呑みは、酒が美味しいとされています。来年も御一緒に呑めますように。

 

万年竹

台風に蹂躙された植木たちも、徐々に元気を取り戻してきました。近所の老舗の花屋が、代替わりしてからすっかり零落し、法人相手の盛花や植え込みの売れ残りを個人客に押しつけようとするので、最近は切り花を買いません。トイレや洗面台の花は、植木の手入れをした時に摘んだ小枝や、咲き残りの一輪で間に合わせています。香水瓶など小さな花器に活けたりすると、それなりに楽しめます。

今は、台風に押し倒された鶏頭と、万年竹の切り戻しを活けてあります。定年祝いに頂いた花束に入っていた万年竹(ミリオン・バンブー)が発根したので、3本を鉢植えにしたのですが、今夏の暑さが気に入ったらしく、つぎつぎ新芽を出して、8株にもなってしまいました。冬は室内に入れねばならないので、あまり鉢数を増やしたくない。知人に株分けを貰ってくれるよう、頼みました。引き抜いてみると、根は鮮やかなオレンジ色で、まるで朝鮮人参のようです。いかにも精の強そうな感じですが、白い斑入りの葉とは似合わず、元来、異国の植物なんだなあと思いました。

鶏頭を抜いた後には、待たせていたムスカリの球根を植えました。小菊は、白、黄、小豆色の品種には蕾が出ましたが、臙脂色と黄色の糸菊はいつかなくなり、赤い豆菊は伸びません。去年不作だったので、今年は、小春日和に小蜂の羽音を聞く平安を、切望しているのですが。