國學院雑誌1362号

國學院雑誌の10月号(通算1362号)に、近世史の根岸茂夫さんが「目安箱は民衆の意見を政治に反映させたのか」というコラムを書いています。享保の改革で将軍吉宗の善政の象徴として有名な目安箱の実態を、明快に説く。

享保6年(1821)7月に出された目安箱設置触書は、当時捨て文(政治や役人への批判を書いて人目につくように捨てておく、または貼り出しておく、今で言えば投書、ツイートのようなもの)が増えたので、その対応だったが、現実には小石川養生所の開設以外に実現された政策は殆どなく、目安箱に投書したために処罰された例はしばしばあった、とのことです。享保改革の初期には年貢増徴などがあって政治批判が高まる中で、実務に当たる役人への不満を知り、役人への統制を強化し、民衆に対しては正義の味方として遙か上に屹立する姿を見せつけたのが真相だというー何だか思い当たるふしがあるような。

本誌には木村剛大さんの「楚辞「離騒」に於ける変易」という論文も載っています。「離騒」は学生時代に読みましたが、ひどく悲痛な詩だったことしか覚えていません。作者を屈原かどうか疑う説があることも初めて知り、あり得ることと思いました。書棚の奥から、目加田誠訳の中国古典文学全集『詩経・楚辞』を引っ張り出しました。専門外なので、木村さんの論文の価値は判断できませんが、「離騒」の本文そのものに現れる激情表現の淵源を「個性」と命名して考察しており、その過程は堅実なものとはいえ、やはり「個性」という鍵語には抵抗があります。抽象的なことを探り当てようとする文系の論文にあっては、鍵語の設定が命運を決することがある。そのために語彙を増やし、語感を磨き、試行錯誤を繰り返しておかねばなりません。

ともあれ、60年ぶりに屈原を読み返す時間を持てたことは、幸せなことでした。