椿説弓張月

大高洋司さんの「『椿説弓張月』の位置ー<一代記>と<史伝もの>ー」(「国語と国文学」8月号)を読みました。滝沢馬琴の<稗史もの>と言われる読み本の形成を解明するために、長編構成の大枠(読み本的枠組)を見定めることが重要であるとして、その枠組に仇討もの・伝説もの・一代記もの・史伝もの・巷談ものを挙げ、<史伝もの>とされてきた『椿説弓張月』を再検討しています。

私は『椿説弓張月』については、学生時代に一読者として読んだだけですが、馬琴の周辺では長門本平家物語』の輪読会が(当然、書写も?)行われていたことが判っており、近世の知識人たちの歴史文学に対する意識を知る上で、無関心ではいられません。

本論文によれば、『椿説弓張月』の前半は『前太平記』列伝の延長線上に構想された武将一代記と見られるが、後半は『難太平記』を引き、『保元物語』だけでなくその前後の正史、実録を参照して構成されたというのです。馬琴は寛政末期から享和初年までに黄表紙・絵本の類の制作に関与し、複数の武将一代記を世に出していますが、文化初年の<稗史もの>形成期(『弓張月』は文化4年刊)に、この体験が影響していると大高さんは言います。そして『弓張月』の後半を特徴づける父子二代記は、仏教的長編説話勧化本一代記の型を転用し、為朝の子供たちの後栄を描いて、めでたしめでたしの結末に導くことに主眼があるとしています。

ちょうど原田信男さんの『義経伝説と為朝伝説ー日本史の北と南ー』(岩波新書 2017)を読み返した後だったので、軍記物語が時代ごとに、日本人の心性にどれだけ深く食い込んで行ったかを、改めて考えさせられました。