阿波国便り・棗篇

徳島の友人から、散歩途中で見かけたらしい青い毬栗や烏瓜、棗の実の写真が届きました。温かい土地でも季節は、確実に進んでいます。

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棗の実

亡父はよく、歴史的局面の条件が整った、というような際に、「庭に1本棗の木」と言いました。私が怪訝な顔をすると、水師営日露戦争終結交渉が行われた場面に出てくるんだ、と説明しました。調べてみると、1906年に佐佐木信綱が作詞した文部省唱歌水師営の会見」の1節です。会見は1905年のことなので、1911年生まれの父が直接知っているはずもなく、歌詞の「ひともと」を「いっぽん」と発音していたところから見ると、歌った経験もないのかもしれません。彼の世代、殊に福岡出身者にとっては、乃木大将の逸話は身辺に溢れていたのでしょう。

爾来、生の棗の実はどんな味がするんだろう、と興味津々でした。世田谷の住宅街に住んでいた頃、近所に棗の木のある家(秋には垣根には水引草の花が咲き、鉦叩きが鳴くので、ひそかに「立原道造の垣」と命名していました)があって、ある年、垣の外に垂れ下がった枝から、熟した実を1つ失敬して囓ってみましたが、美味しくはありませんでした。ドライフルーツにしたり、甘辛く煮たりして食べるもののようです。

松の実などと一緒に、月餅の中にぎっしり詰めてあるのが美味しい。そう言えばそろそろ長月十三夜ですが、昨日は夕方から曇って月は見えませんでした。