鎌倉期の侍と凡下

錦織勤さんの「鎌倉期の侍と凡下」(「鎌倉遺文研究」45号)を読みました。錦織さんは定年後、鳥取から京都へ移住、その際、近隣の大学や図書館の蔵書を調べ、雑誌の欠号を寄贈して、自分の蔵書は整理してから引っ越したという、用意のいい人です。掲載誌の送り状には、[50代から退職まで、学部改組によって日本史の授業がなくなり、地域社会論とか地域環境論というような名前の授業だけになりました。研究も自ずとそういう方向のものを求められ、中世史研究とは距離を置くようになってしまいました。定年を機にやり残した研究をしたいと思い、細々と続けていましたが、1本まとめるのに5年もかかってしまいました。気持ちとしては、もう少し、中世前期の身分とは何か、という問題を考えてみたいと思っています。]とありました。

本論文は①侍を規定するものは官位や名字ではない ②鎌倉幕府法で侍というのは御家人のことである ③凡下とは下位の者を指す語で、対比される者によって流動的である ④幕府法のいう凡下には、郎等と雑人が含まれる ⑤非幕府法で侍とは、主人の傍近くに「さぶらう」者という意で、決まった身分集団ではない と論じていますが、身分とは何か、身分というものがどのように形成されていくのかを視野に入れているとのことで、さくさくと、分かりやすく述べられています。現代のように、用語を厳密に規定して使っていたわけではない時代の史料には、こういう検証が繰り返されることが必須でしょう。

本誌には下村周太郎さんが「Web版鎌倉遺文配信に寄せて」という副題で、文書中の「近曾」が「近会」と翻字されてしまった例を取り上げています。そのうち近会を「さいつごろ」と訓む人が出てきたりはしないか、心配になりました。久保田和彦さんの『六波羅探題研究の軌跡 研究史ハンドブック』(文学通信)も紹介されています。