ノートルダム

ノートルダム大聖堂の火災のニュースには、思わず絶句しました。欧州の建物は石造だから火事には大丈夫、と思い込んでいたのに、肝心のところは木造だったのですね。巴里の人たちが、崩れ落ちる尖塔を見ながらアヴェマリアを歌う報道画面に、胸が痛みました。誰もが、戦後まもなくの法隆寺の火災を思い起こしたことでしょう。私は未だ小学校入学前でしたが、壁画保存のための模写作業で、画家が寒冷をしのぐ電気座布団から出火した、という説明を雑誌で読み、悲しかったことを覚えています。

とりあえず巴里の友人に、お見舞いの葉書を書きました。再建のための寄付金が集まり始めたそうで、日本でもあちこちに募金箱が置かれたようです。今後、日本の宮大工たちの技術が、再建の役に立つことを期待したいと思います。伝統の技も、異なる文化や風土の中で学ぶことがあるのではないでしょうか。

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                     (神野藤昭夫撮影。桜が咲いています)

2011年の晩夏、絵画資料調査のために巴里へ行きました。目的限定の弾丸ツアーです。帰国する飛行機が出るまでの半日、友人がノートルダム大聖堂とその周辺を案内してくれました。唯一の観光タイムでしたが、小さな美術館や大学街を歩き、店で買ったばかりの果実を公園で食べながらお喋りして、ディープな巴里体験でした。セーヌ川に浮かんでいるような、あの尖塔と、壮大なステンドグラスが思い出されます。

巴里までのエアメールを出した後、小石川のスーパーへ買い出しに行きました。伝通院へ寄ってみたら、枝垂桜はすでに散っていましたが、周囲の並木には八重桜や水木や躑躅が咲き始め、叢には小判草燕麦が穂を出しています。ふと見ると、「永井荷風は伝通院をノートルダム寺院に喩えた」という看板が出ていました。以前からあったものでしょう。多くの日本人にとっても、思い入れのある聖堂なのです。