揚がる花火

今年は各地の花火大会のTV中継が多くて、見比べながら楽しんでいます。柏崎、長岡、両国、琵琶湖、東京湾・・・やはり夜空の大きい所、水面の広い所が見応えがあります。花火の色彩も図柄も、そして打ち上げる組み合わせ、デザインもさまざまになりました。花火師たちには、職人の意地だけでなく、企業秘密ともいうべき張り合いがあるらしい。打ち上げるプログラムごとに題名がついていることもあり、柏崎では地元の逸話や諺らしい名もあったので、TV側は一言、説明すべきだと思いました。

子供の頃、今日は花火大会、というのでいそいそ海岸へ出かけ、ぽーん、ぽーんと間を置いて空に開く花火を見た記憶、地方勤務だった頃に帰京する車中から、熱海の辺でしょうか、音の聞こえない遠花火を眺めたこと、用賀に住んでいた頃、勤務先から帰ってくると、行く手の路上すれすれに大輪の花火が開いて吃驚したこと・・・いろいろ思い出します。土地によっては、空襲や大火の鎮魂のために催される所もあるらしい。打ち上げ花火を楽しめるのは、何より平和な証拠です。この楽しみは大切にしたい、今後100年も、150年も、日本の近代史と共に。

TVの中では、タレントたちのお喋りがうるさくて閉口します。音消しでは花火の音が楽しめず、我慢しながら視ていると、しきりに「うちあがる」という言い方をするのが気に障るのです。「打つ」は他動詞、「揚がる」は自動詞、複合動詞にはなりません。花火は「揚がる」か「打ち上げられる」かのどちらかでしょう。

立川の花火大会は雨で中止になりましたが、用意された花火は特許の問題があるので、そのまま焼却するのだそうだ、と知人が言っていました。焼却炉の中で、誰にも見られず、つぎつぎ開いていく花火ー想像するだけでも怖いほど悲しい。