新入社員だった頃・進路変更篇

民間TVが開局した当初は、映画会社・新聞社・ラジオ局、それに銀行などの寄り合い所帯で、新聞と放送は系列関係がありました(現在でもあります)。斯界の生え抜きは未だおらず、四大卒女性正社員の初採用だった私には、アルバイトと同じ仕事しか与えられませんでした。それゆえ、私大のマスコミ学科を出たアルバイト女性から見れば腹が立ったのでしょう、虐められました。

後発局だった私の勤務先は、認可の際に教育局の看板を架けられており、教育番組が放送時間の一定の率を占めている必要があって、その計算をさせられましたが、クイズも教養番組に数えたりするので、内心疑問に思いました。最後発局(現在のテレビ東京)は、未だ他局の番組を貰い受けて再放送することが多かったのですが、今は却ってドキュメントやインタビュー番組に強みを発揮するようになっています。この年、コンピューターを会社経営に初めて導入したのがフジテレビで、その研修資料を見て、学部で受講した一般教養の数学が、なぜ二進法を取り上げたかを悟りました。短い勤務期間でしたが、社会では時間は賃金に置き換えられ、コストが最優先の物指しになることを叩き込まれました。

そのうち、出勤が辛くなり、心身症になりました。進路変更を決心した前後のことは、『文学研究の窓をあける』(笠間書院 2018/7月刊)に書きましたが、辞職して大学院受験の準備をした1ヶ月が、生涯で最も勉強した時かもしれません。受験勉強の終わった後には、FMの「夜間飛行」を聞きながら太宰治論を書きました(学部で受けた専門教育が訓詁注釈中心だったので、論に強くなろうと思ったのです)。今でも「夜間飛行」のテーマ曲とあの有名な語りを聞くと、もう後ろへは退れない、と必死だった頃のことが思い出されて、万感胸に迫ります。