桜桃忌

今日は桜桃忌。勿論、さくらんぼを買って来て、仏壇に上げました。

「桜桃忌」というタイトルの歌が複数あるのですね。1曲はさだまさし風のフォーク、もう1曲は何と演歌。尤も、幼年時代に新内の「蘭蝶」を聞いて恍惚とした、という太宰のことゆえ、演歌もまんざら嫌いではなかったかもしれません。

しかし、太宰の世代の重荷は、旧来の日本の家制度や倫理だけでなく、急激に流れ込んできた欧米の近代文化と旧体制との、ごりごりした葛藤だったのではないかという気がします。藤村の世代とも芥川の世代とも違って、より直接的に入り込んでくる欧米の社会変化が、未だ同じ基盤に立っていない日本社会の若者を二重の摩擦ですり減らす、そんな時代だったのでは。斜陽館のハイカラな洋風木造建築を見て以来、大正・昭和初期の青年たち(それは私の父母の世代でもあります)の呼吸していた空気を、そんな風に想像しています。

「桜桃」という太宰の晩年の短編は、酒場で呑んだくれながら、出された宝石のような桜桃に子供を思う、泣き笑いの作品です。戦後間もない頃は、「親はなくても子は育つ」という諺が、よく人の口に上りました。戦災孤児がたくさんいたからです。その中で「親はあっても、子は育つ」と、太宰や坂口安吾檀一雄たちは半ば冗談、半ば本気で言い合っていたらしい。親の甲斐性や無頼に関係なく、次世代はまっとうに育っていくもんだ、という、慈愛と自虐的ユーモアの溢れる警句でした。