空飛ぶ花

近くに大小2軒の花屋があります。小さい方の花屋では時々おまけをつけてくれることがあって、鶏頭の苗を買ったら珍しい色のカーネーションを1本、つけてくれました。秋らしい、錆朱色の花です。「コロンビアから来たんだ、カーネーションはコロンビア産が一番!」と店の主人が言います。

この頃大きな方の店で八重咲きの花を買うと、開かずに芯から腐っていくことが多くて、管理がわるいと文句を言ったことがありましたが、そもそも海外から来ていたのでは、鮮度が昔とは違うのでしょう。パーティや講演会場の飾り花なら、1日もてばいいわけです。

土用の丑の日の前には台湾から大量の鰻が空輸されますが、水なしで段ボールに生きたまま詰めて搭載するのだと聞いたことがあります。切り花もそうでしょう。国内でも、市場に出す時は、ぴんぴんだと花首が折れたりするので、わざと萎れ気味の状態で輸送するそうです。仕入れてきた花たちが、夜中の店先でざわざわと生き返っていく音を聴くのは、花屋として至福のときーそういう投稿短歌を読んだことがありました。

近世の幸若舞

須田悦生さんの「「女舞」と小田原・江戸の桐座ー近世幸若舞のゆくえー」(「伝承文学研究」66)を読みました。若い頃は芸能史にも目を配っていたのですが、最近は手が回らなくなっていたので、幸若舞の近世(しかも関東で)の生態を初めて知りました。中世末期、相模地方には多くの舞大夫がいたが、その一部は近世になって小田原藩主に保護され、桐座という歌舞伎小屋を持ち、近世中期には女舞という芸能を看板としており、江戸にも同様の桐座があったというのです。彼女たちの得意演目には、幸若舞と全く同じではないものの、大鼓を使った「馬揃」「那須与市」という謡い物があったらしい。頭には天冠をつけ華麗な大口を穿き、中啓を持って舞ったようで、今も福岡県の大江に民俗芸能化して残る幸若舞とはかなり異なるようです。

須田さんは福井県の御出身で、静岡県立短大にお勤めの頃、福井県史編纂に尽力され、幸若舞の歴史を執筆されました。丹念なフィールド調査と郷土資料を駆使した、地に足のついた研究で、芸能史はまさにこうでなくては(事実を忠実に追っていくべき)と思いました。中世の幸若を軍記物語享受の一形態として、あるいは武士社会で愛好された芸能としてのみ見ていたのでは、近世に変容し明治まで続いてきた「武家の物語」の深奥を照らし出すことはできない、と痛感しました。

人参

小説や物語に出て来た食物が美味しそうに思えるのは誰しも経験があるのではないでしょうか。父親玄海育ちのくせに生臭い魚が大嫌いで、箸もつけませんでしたが、なぜか伊豆のくさやは好物。矛盾しているじゃないかと追及したところ、横光利一の「日輪」を読んでから好きになった、と言っていました。

ロシアの長編小説を読むと、ザクースカ(漬け物のようなもの)とかクワス(コーラに似た飲料)とか、美味しそうですよね。

子供の頃、鼠の一家を描いた漫画本がありました。お弁当に人参を持ってピクニックに行く話があり、各自1本ずつ人参を(ちょうどソフトクリームを持つように)持って美味しそうに食べている場面がありました。今どきの人参は甘くて臭みも薄く、生でも食べられそうですが、当時は煮しめて食べるものでした。いちど味わってみたいと、台所の流しの下にしまってある人参を狙って、夜中にこっそり、がぶり!忽ち口中はアクのきつい臭味でいっぱいになりました。

翌朝、台所では「鼠が出た!人参が囓られている」(当時は、夜中に天井裏を鼠が走り回ることは日常茶飯事でした)と騒いでいましたが、勿論、知らぬ顔で遊びに出かけました。

漢文スタイル

斎藤希史さんの『漢文スタイル』(羽鳥書店 2010)を読んでいます。詩による予言を扱った論文に引用されていたので、そうそう、我が家にもあったっけ、とツンドクの山の中から探し出しました。斎藤さんとは名古屋だったか、国文研の客員を務めた折(あるいはその両方)だったかに言葉を交わしたことがあり、この本が出た時、どんな仕事をしている人だろうと取り寄せたままになっていました。

あちこちへ書いたエッセイを集めた本ですが、楽しめて、優雅な気分を味わえて、しかも蒙を啓かれる本です。中高年にはお奨め(勿論、学生にも)。高校時代、学習参考書をそのまま読み上げているような漢文の授業に退屈し、白文を読める能力の養い方が判らないのに焦れて嫌いになり、必要以上には近寄らずにいた漢文の世界を、今こうして楽しめるのが嬉しい。Ⅰ詩想の力 Ⅱ境域のことば Ⅲ漢文ノートの3章立てになっていますが、Ⅲから読み始めると入りやすいでしょう。

白が多い、すっきりした装幀なのですが、憾むらくは造本の背がやわで開いた形を保ちにくいこと。ソフトカバーにするか背中をきっちり造るかして欲しかった気がします。

橋本敏江さんを偲ぶ会

前田流平曲奏者・橋本敏江さんは昨年10月24日に亡くなられました。百二十句通し語りを果たされ、「平家」全巻を語りで実演できる数少ない方でした。海外でも、国内の平家ゆかりの地でも度々演奏され、放送大学やNHKの「古典への招待」でも語って頂きました。明日館は、何度も演奏会を催されたゆかりの場所です。

 橋本敏江さんを偲ぶ会     来聴歓迎(平服でおいで下さい)

平成29年10月21日(土) 18:00開場、20:30終了予定

自由学園明日館ラウンジホール(豊島区西池袋2-31-3)

橋本さんの思い出:ジョージ・ギッシュ

         松尾葦江

         小林保

献納演奏「木曾最期」:鈴木孝庸・荒井今日子

*最後に全員で「先帝御入水」の中音「山鳩色の・・」を合誦いたします。

お問い合わせは090-1267-0864鈴木孝庸まで。  

産地の果物

かつての教え子が東郷町の梨を送ってくれました。鳥取県中部にある東郷町は、今は湯梨浜(温泉と梨のある海岸沿いの)町と名を変えたようですが、周囲12kmもある東郷池(ちなみに、日本一大きな池は鳥大の近くにある湖山池。池、沼、湖を区別する基準は不明です)と羽合温泉(最近は、日本のハワイ、を名乗ってわざと平仮名書きにしている)が有名。

東京では、果物は傷一つない、ちょうど食べ頃で店に出ますが、産地では、綺麗なものは市場に出してしまうので八百屋の店先には、傷だらけか規格外の実ばかり。学生時代に岡山を歩いた時、傷だらけの白桃が一山いくらで店に出ているのを見て吃驚しました。白桃といえば薄紙に包まれた高級果物しか見たことがなかったので、連れの友人と「買ってみよう!」ということになり、その晩、宿で剝いて食べた時の美味しさは今でも忘れられません。完熟でした。同じ頃、初秋に弘前へ行ったら、林檎ジュースを牛乳瓶1本5円(当時郵便葉書が¥5だった)で売っているのを見て、さっそく飲んでみたところ、濃厚な甘さに感激しました(未だ果汁100%ジュースなどない頃です)。地元出身の友人から、落果で作るから安いのだと教えられました。

鳥取にいた時、八百屋に出るのはやはり傷だらけの梨でしたが、味に別状はないのでよく買いました。関東に多い品種は赤梨と言われる幸水などですが(以前は「歯磨きみたいだ」と言われるほどざらざらの果肉でしたが、最近は改良されました)、20世紀梨は青梨と言われ、子供の頃には白桃やマスカットなどと並ぶ高級果物でした。もとは千葉で発見された突然変異の種だそうです。

勿論、送られてきたのは傷一つ無い実ばかりで、1口囓ると果汁が口から溢れました。

中国史における「中領域」

東洋史の平㔟隆郎さんからメールを貰いました。

 「難しいあなたの著書論文を、出版社の宣伝と違って、やさしい説明にしてまとめてください」と大学の担当者から依頼がありました。無理難題を自覚しつつ少しだけ工夫して、「戦後60年代ぐらいに、日本の歴史的発展と西洋の歴史的発展が似ていることに興味をもった人」向けに書いてみました。

  http://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/search.php?q=&department=%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%96%87%E5%8C%96%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80&issued_year=

 日本は、中領域を統合した後、律令時代に入り、やがてそれが瓦解していきます。それを再度統合したのが江戸時代で、実質、北海道から沖縄までの大領域を相手にしていきます。鎖国はしていても、沖縄を通して海域と繋がっています。中国は、2000年の大領域が前提で歴史を語りますが、実は中領域も生きています。その中領域を見るように注意してみると、日本で当たり前のように議論されている中世の諸問題なども、中国の場なりに見えてくるんじゃないか、というような文章が本当は書きたかったのです。

 

上記のURLは大著『「八紘」とは何か』(汲古書院 2012)についての紹介記事です。平㔟さんは『史記』や『春秋』の戦闘的な研究で有名な人ですが、史書の編年の誤り・虚構の発生については、日本中世の軍記物語にも通用するところがあり、かつて『類聚国史』の編纂方法に関する益田宗さんの論文を通して問題意識を共有しました。

続編『「仁」の原義と古代の数理』(雄山閣 2016)と併せると3kgもある(!)大著(しかも漢字はすべて正字体)ですので拾い読みですが、幾つも蒙を啓かれました。鳥取安徳天皇墓と伝承されている石灯籠の正体を解明したり、大名墓地に多い亀形の台座を調べたりしていたのは、こういう風に巨大なテーマにつながっていたのか!と、感嘆しています。殊に漢字の意味が中国において時代と共に変化していることが無視されている、との指摘は我々にとって重大でしょう。