奨学金問題・その1

奨学金問題に関する新書を2冊読みました。

大内裕和『奨学金が日本を滅ぼす』(朝日新書

岩重佳治『奨学金地獄』(小学館新書)

前者の著者は教育社会学者で奨学金問題対策全国会議代表、後者は弁護士で同会議事務局長。ほぼ同時に出た本ですが、前者は日本の政治・社会の変化につれて問題が発生、拡大、深刻化してきた経緯がよく分かり、後者は事例を詳述して当事者への対処法を呼びかける点で分かりやすい。重複する部分もありますが、2冊相まって表裏からこの問題の重大さが理解できます。

以前から友人が、学生支援機構の奨学金は教育ローンと名称を変えるべきだ、奨学金と名乗るのは詐欺に近い、と憤慨していました。私自身も近年、指導した学生の事情や携わっている奨学基金に関する事情の変化に不審を抱いていたのですが、この2冊(特に数値と年代を挙げて説明してくれる前者)を読んで、いろいろな疑問が腑に落ちました。全国の大学人、高校の進路担当者、文部行政官、そして育英事業・奨学金事業の実務担当者は必読です!義務と言ってもいい。

自分の日々の生活に精一杯である間に、あれが変わり目だったのか!と後から気づく重大な社会変化が起こっていることが、しばしばある―年金改革、大学改革、非正規雇用の正当化、そして奨学金制度。これらはひとのライフサイクルを根本からゆるがしかねず、しかも個人にとっては遡って対応することができぬ面が大きい点で、深刻です。

この問題については連載したいと思いますが、とりあえず言いたい!奨学金といえども借金は借金です。クレジットカードよりもはるかに怖いのだから、よく調べてから借りましょう。もし現政府が将来の日本を想う気持ちがあるなら、奨学金はすべて無利子に、有利子のものの名称はローンと変えるべきです。そして回収に当たっては延滞金制度を抜本的に変更(返済金はまず元金に充てるなど)すべきです。奨学金を返済させて経常利益を生むなんて、おかしいでしょう?!

 

言葉のマジック

「子供の貧困」という言葉が流通しています。不審な言葉です。いったい、子供だけが貧乏な家庭があるでしょうか。世帯の貧困、社会の貧困を言い換えて、まるで、みんなで何とかしてやらなくちゃ、という議論にさせようとしているかのようです。じつは政策の貧困、行政の手落ち、なのでは。言葉のマジックに引っかかりたくない。

もしも子供の懐ろ具合だけを比較したら、全員一律でないと不公平、という話になってしまいそう(遠足のお菓子代のように)ですが、生活のスタイルは世帯ごとにそれぞれではないでしょうか。最小限度公平であるべきものと、手に入るけどうちでは買わないもの、うちでは入手できないから我慢するもの、いろいろあって、それが「家風」でもあり、家族の矜恃でもある。

一億総中流社会の幻想はすでに壊れ、しかしそれを糊塗しようとしている人たちの手管に乗せられないよう、私たちにできることは、伝えられる言葉に敏感であることだと思います。

児童遊園

区が半年近くかけて、近所の小さな公園を作り替えました。美濃部知事時代にちょっとした空地を片端から公園にしたものの、小さな砂場とベンチくらいしかなく、木ばかり大きくなって、手持ちぶさたな営業マンが隠れ場にするのにちょうどいい、さびれた公園が2つ向かい合っていたのです。

折角咲き始めた藤棚も取り壊し、木を伐り、土も入れ替える大工事でした。私の感覚では静かなベンチを置き、花でも植えて憩いの場所になるか、という期待だったのですが、できあがってみると色とりどりの遊具が幾つも据え付けられ、地面には吸水性の、これまたカラフルな舗装が施され、植え込みは背の低い、今どきの観葉植物でした。

しかし、その後通りかかって吃驚。どこから湧いたかと思うほどたくさんの子供たちが集まって遊んでいます。若い父親も(平日の昼間ですが)一緒にいます。空間があかるく、賑やかになり、これは行政の勝ち、と思いました。ただ、2つの公園の間の道も、一輪車やスケボーで後ろ向きに走ってくる子供、それを平然と見ている親御さんなどで占領され、杖を突いて通りかかる老人には怖い場所になってしまいました。傍の家に住む人にはうるさいかもしれません。一年後、うまく折り合っているでしょうか。

初蝉

午後、大雷雨。雹も降りました。久しぶりに「天地」という概念が頭に浮かびました。

雨がやみ、今年初めてのみんみん蝉を聞きました。未だつっかかりながらのだみ声です。明日あたり梅雨明け宣言が出るかもしれないと、天気予報が言っています。

銷暑法

梅雨が明けていないといいながら東京は連日の酷暑。我が家は通風抜群ですが日照もまた抜群なので、昨日の暑さが冷めないうちに翌日の太陽が元気いっぱい昇ってきます。素焼の印度の壺に風呂の残り湯を入れておき、打ち水代わりにこぼしたり、色の濃い夏の花でなくコリウスの葉で地表を覆ったり、いろいろ工夫はしてみるのですが、勝てません。

昼間、家の中のファッションは金太郎スタイル(短パンにタンクトップ)。夜はシーツでなく花茣蓙を敷いて寝ます。ひやりとして気持ちがいい。翌朝熱湯を湧かして拭き、2時間ほど干します。その熱湯の残りで台所の流しを消毒します。

「こまめに補給する」水分には麦茶のほか、レモン水を作っています。砂糖(または蜂蜜)と塩と水にレモンの輪切りを一晩漬けて、オンザロックで飲む。美味しい。レモンを喫茶店の紅茶についてくるものよりもやや厚めに切ると、かすかな苦みが出て大人の味になります。我が家では目分量ですが、味見をしながら加減するのがいいでしょう。水と塩を足しながら2,3日は冷蔵庫内で保存できます。

32度までは金太郎ファッションでしのげますが、36度になると自分の身体がいちばん冷たいわけで、身の置き所がない。半世紀前よりも東京の夏の気温は3~4度上昇したのではないでしょうか。やせ我慢をしても、就眠前に冷房を入れるとほっとします。

梅雨明け10日といいますが、これで梅雨が明けたらもっと暑い日が来るのでしょうか。もう明けたと思いたいけれど、ふと気づくと、未だこの辺では蝉の声を聞かない。案外、都心の尾崎記念館や皇居周辺で鳴いているのかもしれません。

 

手嶋大侑論文

日本史の友人から、手嶋大侑さんの論文について感想が寄せられましたので、了解を得て掲載します。

【手嶋さんの論文を4本読みました。 

①年官制度発生に関する一考察―貞観13年藤原良房第二抗表をめぐって―、「人間文化研究」21

②「三宮」概念の変遷と「准三宮」、「人間文化研究」23

③年官制度の展開―中央と地方の連関―、『明日へ翔ぶ―人文社会学の新視点―4』(風間書房

④平安中期の年官と庄園、「日本歴史」830 

①では、良房の第二抗表の読解が中心になっています。難しい史料です。

②は三宮と三后は同じものという、常識的な理解を覆す論文で、なるほど、と思いながら読みました。

③④は、手嶋さんの研究が深まっていることが窺える論文で、非常に面白く読みました。年官が、中央の権門と地方有力者を繋ぐ手段として有用だったことや、それが地方有力者だけでなく、庄園の有効な支配を望む中央権門にとっても望ましい関係であったことなどが、史料を博捜して明らかにされていて、重要な論文だと思いました。いい論文を書かれていると思います。

私は、最近土田直鎮さんの『王朝の貴族』(中公「日本の歴史」)を読んでいます。名著だと改めて思いました。摂関期の貴族社会に関して、何にも知らないことを知らされています。むかし読んだ気はするのですが、すっかり忘れています。(錦織勤)】

かつて読んだはずの研究書を読むと、見落としていたこと、当時理解出来ていなかったこと、知らずに自分が影響を受けていたことなどを改めて気づかされ、あの本もこの本も読み返したくなります。かくてツンドクの山は低くならぬまま、時は過ぎゆくのです・・・

往来の文化学

内田澪子さんの「長谷寺「銅板法華説相図」享受の様相」(『ひと・もの・知の往来―シルクロードの文化学』勉誠出版)という論文を読みました。内田さんはこのところ長谷寺縁起とその周辺を探究しており、この論文では国宝「銅板法華説相図」の享受と長谷寺縁起文・長谷寺験記・長谷寺縁起絵巻などの関わりを展望しています。

シルクロードという言葉は、一帯一路などと違った浪漫の響きがあり、私たちを今もわくわくさせます。それを書名に取りこんだ本書は、2014年秋に行われた二つの国際フォーラムの成果をもとにしたもので、16名の各国の研究者が、仏教を中心にさまざまな文化の伝播をテーマとして論じており、キラキラした序跋がつけられています。果たしてどれだけの人が、本書を手に取って読み通せるか―必ずしもとりつきやすい本ではありませんが、それぞれにひたむきな論文です。

話題が広すぎて、と言いたくなりますがふと、あれもこれも源平盛衰記に結びついていくことに気がつきました。中央アジア叙事詩「アルポミシュ」、聖徳太子伝、釈迦堂縁起・・・私は源平盛衰記に手を引かれて、それらの論考を読みました。