藍鉄塩釉鎬

濱田友緒さんの展示会で買ったマグカップが届きました。藍鉄塩秞鎬です。まずは益子焼愛好家だった亡父の仏前に上げて、よくよく見せてから、鍋に水を入れて煮沸しました。陶器の使い始めにはこうするものと教えられていたのですが、ある時、清水土産のドミタスを煮沸したら、使いもしないうちに取っ手が取れてしまい、爾来洗剤で洗うだけにしていました。

往年の益子焼と違って軽いので、ちょっと頼りない気もしますが、年寄りには使いやすい。明日から、朝の牛乳を飲むのに使おうと思います。立派な箱書がついてきていますが、器物は使ってなんぼ、だと思うので、気をつけながら日常に使うことにします。

益子参考館では、このところ地面一面に団栗が落ち、野生の竜胆が咲き、雑木林の紅葉が綺麗だそうで、新収蔵展を観に行った方々からお便りを頂きました。ちなみに取っ手が取れた清水のドミタスは、亡父がやすりで擦ってぐい呑みに作り替えました。

歯医者さんから褒められる

口腔ケアで歯医者へ行きました。口の辛い歯科衛生士に叱りつけられながら3年、次々に注文がつき、一時はどうなるかと(歯だけ生き残ってもしょうがないよなあ、と思ったり)心配しましたが、ようやくこの頃、歯磨きは一部を除きOK、良質の歯茎なので出血しないね、と言われるようになりました。歯ブラシを1日に3種類使い分けています。4種類の時もありました。当時、歯医者さんからはなかなか褒められませんね、というCMがあり、大いに共感していたら、どこからクレームがついたのか改訂され、今は打ち切られたようです。

帰りに本屋へ入り、クリスマスカードとカズオ・イシグロの短編集を買いました。ついでに、軍記物語を題材とした浮世絵を多く描いている月岡芳年の評伝(平松洋 角川新書)を買おうとしたのですが、表紙があまりに猟奇的で(有名な絵ですが)、カウンターへ出すのに気が引けました。西郷本がそろそろ出回っています。

外は冷たい雨、もう真っ暗になっていました。歯医者へ行った日はなぜか歯が痛くなり、口の中は大騒ぎ。寝た子を起こすとはこの事だ、と頬を押さえながら帰りました。

観菊

来日中のJ.ピジョーさん(中世日本文学に詳しいフランス人です)と待ち合わせしました。ピジョーさんの日本での楽しみは、日本酒と水泳。まず蕎麦屋へ入って、燗酒を銀杏で呑みました。明日は房総の海で泳ぐ予定だそうです。心配する私に、欧州人は日本人より体温が高いから大丈夫、と言われました。

その後、2人で湯島天神の菊花展示を見に行きました。懸崖や盆栽や菊人形の外、いろいろな種類の菊の鉢がぎっしり並び、心が洗われるようでした。ピジョーさんはクリーム色の厚物咲が、私は白の管咲が気に入って見とれていたら、御前の広場から太鼓の音。ちょうど区主催の菊祭期間中なので、猿回しが来ていたのです。女性の猿回しが、さくらという名の猿に高跳びや竹馬乗りの芸をさせて見せましたが、芸をしながらもさくらの眼は、取り巻いている観客たちを1人ずつ観察していました。

男坂を下りて、喫茶店でいろいろお喋りしました。マクロン新大統領の評判、日本製ウィスキーの仏蘭西向けラベルにはパスカル箴言(人生には在りすぎていけないもの、不足していけないものがある)が引用してあること、フランスでは公共施設から宗教色を排除していく傾向が強く、聖母子像を見て「これ誰?」と言う子供もいるようになった(フランスでは、8月15日がマリア昇天の日として国民の祝日になっていることを、私は初めて知りました)とか、終活の話とか・・・もう来秋来られるかどうかは分からない、とのことでしたが、夕焼の始まった天神下で、「また来年!」と言って別れました。

文法の授業

古典文法の授業に苦労している先生方は多いと思います。大学の教養科目や文学部の初期科目の場合、私は(よい教師だったかどうか分かりませんが)、こんな風にしていました。

まず、古典語と現代語の間には1000年近い時間があり、同じ日本語だからそのまま読めると思ってはいけない、英語は外国語だから辞書を引くのが当然だが、日本語でも1000年前の言葉は外国語も同然なのだ、と言います。次に、日本語の微妙なニュアンスは、語尾の小さな部品、つまり助動詞や終助詞に籠もっていることが多い、しかも古典語には現代語にないニュアンスを表す語があって、それが分かると古文が面白くなる、という話をします。時間があれば実例を挙げます。教材の中に適切な例があればいちばんいいのですが、例えば山口明穂さんの『日本語を考える』(東大出版会)なども使わせて貰いました。そして、大学へ来たら、受験用ではないのだから、分からない語は辞書を引けばいい、但し英語で言えばbe動詞を一々辞書を引くわけにはいかないように、助動詞や助詞は覚えてしまわないと厭になるよ、と言っておきます。さらに、高校時代の文法は大変だったけど、大学では助動詞と終助詞だけ暗記して、敬語の3種類が見分けられれば古文は読める、と話します。そこで、25歳までが記憶力の上り坂だから、未だ暗記できる、と暗示を掛けるのです。

授業が進んだら、動詞の活用の種類をおさらいし、助動詞一覧表をちょくちょく参照しながら、接続・意味・活用の3要素をセットで暗記する必要があること、品詞分解は語尾から解いていく方が解きやすいことなどのコツを教えていきます。その次に、形容詞は雰囲気を表す語なので、早とちりせずまめに辞書を参照すること、一語だけで訳さず文脈をよく考えることを注意します。謙譲語は現代語の表現では少なくなってしまったので直訳せず、人物の関係をよく考えて現代語に置き換えることを言い添えます。

これでもう辞書さえあれば何でも読める、と断言します。最後に、基本的に高校の授業で習った以上の文法知識は専門課程でも習わない、ただたくさん読むと勘ができるだけだ、と安心(?)させるのです。高校の文法の教科書は、ずっと役に立つすぐれものだから捨てないように、と最初に言って置くこともあります。

つまり、動機付け(なぜ文法を学ばなければならないのか)をし、要点を切り詰め、厖大な暗記はもう必要ないと言って誘導していくやり方です。講読教材のそこここで、動機付けを確認しながら行ければ理想的でしょう。

歴史叙述と文学

国文学研究資料館の平成二十八年度共同研究成果報告書『歴史叙述と文学』(代表福田景道)所収の論文3編を読みました。大橋直義「伝記への執心」、清水由美子「『平家物語』における多田行綱」、福田景道「『増鏡』と『梅松論』の歴史性と文学性」の3編(副題略)です。

大橋さんは、『扶桑略記』の編者と形成圏の研究史にさらりと触れ、従来の伝本分類と翻刻本文の問題点を指摘、その上で『扶桑略記』は、人物伝を核として日本の対外交渉史を意図した歴史叙述であると説きます。私も注釈その他で『扶桑略記』をしばしば利用しながら、本文批判までは手が及ばず、また慈光寺本承久記の序などの生まれる背景が気にかかっていました。果たして当時の「東アジア」における日本の位置づけを意図した枠組み、と言ってしまっていいのかどうか、注目していきたいと思います。

清水さんは、平家物語では鹿ヶ谷事件の密告者としてのみクローズアップされがちな多田行綱について、『兵範記』仁平3年7月16日条により康治2年生と推定し、『愚管抄』記事を引きながら、一ノ谷の功績は黙殺されて鹿ヶ谷の裏切りばかり有名になったのは、近衛家後白河院に忠実に行動した武士に対する九条家の視点が関わっているのではないかと憶測しています。「書かない」ことによって造型する歴史文学の方法の一面が、あぶり出されてきます。また『愚管抄』の記事がすべて事実に基づいているのかどうか、という問題に発展していくならば今後紛糾しそうで、関心が持たれます。

福田さんは、「歴史物語」の定義から説き起こし、文芸か歴史か、という判別にこだわって『増鏡』と『梅松論』の皇統継承記事を論じます。しかし私は、この時代、正史や年代記でなければ、物語のかたちでしか歴史を語る方法はなかったのではないか、と考えたりしました。『増鏡』が「明暗の循環的交替法則によって」書かれ、『梅松論』は「天」の思想に基づいた一貫的説明を試みたとする指摘は、平家物語諸本の語り口の差異と照らし合わせてみると、興味深いものがあります。

無辺光

大谷節子さんが京都の観世流シテ方片山幽雪(1930-2015)から聞き書きした『無辺光 片山幽雪聞書』(岩波書店)を読みました。聞き書きだから、と気楽に読み始めたのですが、中身はぎっしり重く詰まった本でした。前半は幽雪の自叙伝、後半は能35番と三老女に関する演技談です。

私も学部3年くらいから観てはいましたが、能は演劇でなく舞として観るのだ、と判るまで時間がかかりました。ようやく舞台の上に風や潮の匂いや月光を感じられるようになったのは、その後です。到底演者ごとの細かい相違などまでは目が行きませんし、京都で能を観たこともありません。能楽の専門用語も殆ど知らないので、半ばちんぷんかんぷんですが、作品解釈と、自分の肉体的条件と、造り物・小道具・舞台などの演技環境とを統合して演技を組み立てていく過程がいきいきと語られていること、大谷さんの、いわゆる見巧者の評言によっていやみなく演者の感懐が引き出されてくることに感銘を受けました。また芸を(自分の家だけでなく)絶やすまいとする幽雪の姿勢に心を打たれ、型付が作成される経緯も、興味深く読みました。

京都の空気にどっぷり浸って育ってこられた大谷さんは、片岡家の雰囲気を伝えるには最適任ですし、多くの名舞台を観ておられます。旧著『世阿弥の中世』(岩波書店 2007)も併読しました。

基準変更

昨日は早起きして大学病院へ検査結果を聞きに行きました。眼科の女性医師は、カルテを読まずに見当違いのことばかり言う(緑内障云々と言われた時は仰天しました。高齢者にはつきもの、との先入観があるらしい)ので、次回の定期検診の予約だけしてそそくさと辞去しました。

消化器内科は、インターン終了後数年以内という感じのきびきびした先生。内視鏡の画像を見ながら逆流性食道炎と憩室の多いことを指摘、それ以外の問題はない、とのこと。生活習慣上の対策を聞いて帰ってきました。在職中は激務をやっとしのぎ、定年後数年はそれなりに生活のバランスを保ってきたのですが、後期高齢者目前になって、さらに生活の基準を変える必要があると悟りました。例えば、以前は吹出物が出て酒量が過ぎていることを知った(若い時は宿酔で知った)のですが、そのサインが出るより手前で胃が音を上げるようになったらしいのです。新しいバランスとそれに応じた楽しみを、これから作らなくては。しゃきしゃき、ぱりぱりの食感からゆったり、あったかを味わう献立へ。粗塩で日本酒を、などという楽しみ方は、引き出しの奥へ仕舞うことにしましょう。

帰宅後、渡された数値表をよく見たら、ほぼ2ヶ月の禁酒のおかげで肝臓関係は改善しているもののコレステロール関係はむしろ高くなっている。つまり酒肴は旬のものを少し、でいいが、おかずとなるとどうしてもがっつり食べてしまうようなのです。これからは、お粥やスープで季節を楽しむ工夫をします(そんなことが果たして可能か?)。