染髪

地球保全運動を叫ぶ若者が名画にトマトジュースをぶっかけた事件。愚かしくてやりきれない、という感想ですが、「自分の髪を洗い流す水のことを考えたことがあるか」というツイートを見て、共感しました。喚く若者の1人がピンクに髪を染めていたからです。

日本でも一時期、似合うか否かに拘わらず染髪が流行ったことがありました。黒髪では頭が重すぎるから、とインタビューに答える金髪の若者を見ながら、頭が軽い、と言われたら悪口じゃないかと不思議でした。

定時制高校では原則、服装も髪型も自由でした。1人前に働いて自活している生徒が多いので、生活の一部でしかない学校が規制することはできないからです。しかし似合う似合わないという規準は、一時的にも同じ時空を共にする者なら批評の自由がある。私が勤めていたのは四十数年前のことですが、染めるのでなく色粉を振りかける方法が流行りました。どう見ても似合わない男子生徒が、紫や緑の色粉で頭を彩っているのを見上げて、「おお、お前の頭、黴が生えてるなあ。枕カバーどうしてるんだ」と言ったところ、翌日からやめました。

宇都宮に勤めた頃(二十数年前です)、鹿児島の有名受験校から入ってきた男子学生がいました。同級生は軒並み東大その他に行くような高校です。入学式直後、いきなり辺りを照らすような金髪に染めました。思いっきりはじけた、という感じがありありでしたが、何しろ地方国立大学の教育学部、全く周囲から浮いている。校庭ですれ違った時、「その頭でGWに薩摩へ帰れるか?」と声を掛けました。まもなくもとの頭に戻っていました。

身体髪膚これ父母に享く、とはあまりに旧い感覚かもしれませんが、年を重ねるにつれて、持って生まれた身体は、自分に与えられた一つの宇宙だという気がするのです。