哀悼の誠

終日、我が家の上空もヘリが飛び交う日でした。九段の警備と取材のヘリでしょう。正午の黙祷で思い浮かべたのは、ミンダナオで戦病死した叔父のことです(2017年夏の本ブログに「家ごとの「さきの大戦」」と題して連載、その後も何度か書きました)。私は彼が応召した時は生まれたばかり、何も記憶がなく、ミンダナオは簡単に行ける所でもなく、8月が来る度に思い出すだけで歳月が過ぎました。

現総理が広島、長崎、そして今日、弔辞を述べた際に好感を持ったのは、一時期流行った「哀悼の誠を捧げます」という語を使わなかったことです。ずっと変な日本語だと思っていました。妙に神聖ぶったポーズが先に立って、気色わるい。哀悼の意を表します、と言うのがふつうの日本語でしょう。今夏は1人だけ「捧げる」という語を使った閣僚がいましたが、もうたくさんです。

長崎市長は初老になり、ベテランの風格が出ていました(凶弾に倒れた前市長に代わって、しがらみのないヒラの市役所職員が立候補した時は驚愕したものです)。今日の祭壇には、黄菊の方が白い花より多いような気がしました。戦争を知らない今上も胡麻塩頭になられました。慰霊の日と同時に平和祈念の日だったのだと、「おことば」を聞きながら改めて思いました。戦後77年、慰霊や追悼の言葉は、めいめい自前で語ろうではないか、そうでないと肌感覚が喪われていく。

私にとっての慰霊は、10代で『きけわだつみのこえ』を読んだ時の、腹の底から衝き上げてくるような口惜しさが原点です。もっとやりたいことがあったはず、もっと生きていたかったはず、それを理不尽に遮断されねばならなかったのは何故か。そのくやしさをずっと持ち続けていたい、他人事でなく。