信濃便り・優勝力士篇

長野の友人から、初場所終了についてのメールが来ました。

【木曽出身の大関が誕生するとの報道は、嬉しいものでした。江戸時代に活躍した信濃出身の力士雷電大関昇進から数えると、227年ぶりとか。地元の新聞には「御嶽海V 大関へ」との見出しが躍り、見開きで昨日の結びの一番の写真が掲載されました。

御嶽海は成績が安定しない時期がたびたびあったので、我が家では勝敗に一喜一憂しないようにしていました。勝った日のコメントは「あら、勝ったの?」。負けた日のコメントはなし。気が早い後援者からは、もう一つ上のポストを期待する声も聞こえますが、プレッシャーをかけないのが一番だと思っています。】

お国贔屓の土地柄ゆえ、こちらからも祝辞をと思っていた矢先のメール。たしかに227年ぶりとあっては、号外が出てもおかしくない慶事でしょうが、こんなに郷土から応援されている力士も多くはないでしょう。南洋の母の国ではどんな反応なのかしら。記者会見で、私一人を見ていて下さい、と言ったのには、現代っ子だなあと驚かされました。

かつては男の子を持った父親は、息子と相撲を取ること、一緒にキャッチボールをすること、そして成人した息子と酒を酌み交わすことが、夢の定番コースでした。我が家では父が野球をやらず、弟は18歳で潰瘍性大腸炎を発症したため、夢の2つは叶いませんでしたが、子供の頃よく2人で相撲を取っていたものです。

【当地は日陰の雪が根雪となり、風が冷たい毎日です。しかし、日差しが強くなり、日脚ものび、日没が遅くなり、寒中とはいえ、春が近づきつつあることがわかるようになってきました。】雪国の春は喜びも一入だとか。あらゆる花が一遍に開く、と聞かされました。2月には、光の春という語もあるようです。もう少しの辛抱でしょう。