土地の言葉

夕食後ぼんやりTVで郷里自慢番組を視ていたら、津軽弁が今でも生き残っている土地はどこか、という話題が出てきました。TVクルーはまず、青森最北端の竜飛へ取材に行ったらしいのですが、ここは青函トンネルの工事で全国から人が集まったため、もう生粋の津軽弁は使わない、五所川原の金木へ行け、と地元の人から言われていました。ああそうなのか、と感無量でした。竜飛岬には2度行ったことがあります。8月でしたがもう秋草が咲き始め、人影はなく、潮目がくっきり見えて、旅情に包まれました。2度目はトンネル開設が決まった後で、土地の雰囲気が一変することは目に見えていたのです。

この辺は寒いからなるべく少ない発音で会話したい、だから敬語が少ない、という説明は意外でした。地方へ行くと、軽い敬語の種類が多く、微妙に敬意の程度が使い分けられているからです。例えば父祖の地博多では、「おる」(居る)、「おらす」、「おらっしゃる」を使い分け、「おらす」は丁寧語程度に使います。狭い人間関係をこじらせない知恵の一つだと思っていました。

鳥取へ赴任した時、会議などで、東京弁の私の発言は結論の白黒がはっきりしているのに対し、土地の言葉による発言はテンポが緩く、結びは和らかいのを通り越して曖昧でした。方言を使いこなすことは出来なくても、そういう言い方の方がそこではうまくいく。暫くして学生から、「先生は、来た時はちゃきちゃきの東京弁だったのに」と落胆されました。秋に岡山で学会があり、居酒屋で仲間と呑んでいたら、ある女性研究者が愚痴を言って泣いている。狭い店なのにそこだけ席を詰められないので、周囲が困っています。私は近づいて、鳥取(風味の)弁で「混んどるけえ、席を詰めんさい」と言いました。「あんたになんか分かんないわよ」とパンチを食らいましたが、泣き止んで収まりました。