焼き継ぎ

青木豊さんの「四十五片を焼き継ぎした有田焼」(「國學院雑誌」1364号 2020/12)というエッセイを読みました。青木さんは博物館学が専門です。

焼物は縄文土器以来、修理して使用されてきたことが分かっており、継ぎ方には時代や対象物によって、漆継ぎ、鎹継ぎ、焼き継ぎ、金継ぎなどの技法があります。中でも焼き継ぎは、寛政期(1781~)以来昭和初期まで行われていた方法だそうです。古くは漆かアスファルトで接合したが、寛政期に白玉粉と呼ばれる鉛硝子による接合が始まり、日常雑器は殆どがこの方法で、焼き継ぎ屋という商売もあったとのこと、「丁度来て粗相取りなす焼継屋」という川柳を引いています。

高価な品は漆継ぎや金継ぎで修理したようで、茶道では修理痕もまた一種の風情とすることが多いらしく、趣味で金継ぎの技術を習う人もあるようです。どこかの展示で鎹継ぎを観たことがありますが、あれは痛々しくて、風情とは感じられませんでした。

青木さんが取り上げているのは、幕末から明治初期に製作された有田焼の鉢(口径17・3cm、高さ7・3cm)で、雪山を背景に結氷した諏訪湖を走る白狐と鳥居が呉須で描かれている(青木さんは『本朝二十四孝』と関係あるかとする)のですが、何と45片もの破片を焼き継ぎしているという。特に高価な焼物でもないので、何らかの理由があるのだろうと推測しています(所蔵や伝来に全く触れていないのは残念)。

根津美術館には、53片もの破片を集めて金継ぎした志野茶碗があり、「東海道」(五十三次)と命名されて有名です。我が家は父が九州出身なので、有田焼にはなじみが深いのですが、こういう意匠の鉢は見たことがなく、興味深く読みました。